今頃、映画『少年時代』に萌えて
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noranekonote.hatenablog.jp
これの続きです。
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映画『少年時代』への再評価への軌跡
リアルタイムで見てきた私にとっての評価の変遷を言うわね。
ずっと長いこと忘れてたけど、思い出して。昔、藤子不二雄の漫画『少年時代』分厚い本を病院の受付にあったので読んでみたら、最後で号泣した思い出を思い出して。
病院の受付で予備知識も何もなしに、分厚い単行本を一気に読んだときの感想。
漫画は、最初は暗い絵が気持ち悪かったし、イジメやドロドロの人間関係や暴力描写がきついし、嫌~な感じで。嫌なまま終わるのかと予想をしてたら。まさかの怒涛の展開で、感動と涙の終わりで、後味がよくて。号泣。傑作。
藤子不二雄Aなんて絵が気色悪くて、つまらなくて嫌いだったけど、こんなすごい傑作を書いてたなんてと評価を変えて。
昔、漫画『編集王』の登場人物の漫画家の話があって。
私もこれとそっくりな思いをしたなあ~と。
過去の名声の遺産で漫画業界に居続けている漫画家で、新進気鋭の編集者見習いがそのネームを見てあまりのつまらなさにあきれかえって。ところが過去の作品をチェックしてみたら傑作で号泣して驚いたって。
このモデル、藤子不二雄Aか? 他にもたくさんモデルがいるかもしれんけど。
まず、藤子不二雄のAのほうを再評価し直して。
藤子不二雄Aデジタルセレクションで、最初の一冊だけ無料で読めるようにしてあって、『少年時代』の第一巻が無料で読めますよ。
fujiko-a.com
もしよかったら、2巻目以降、買って読んでください。
今は図書館でも、漫画を置いてあるところもあるから、よかったら探してみて。
私の地元の図書館でも、分厚い単行本が借りれましたよ。
それから、映画化されてたのを思い出した。
リアルタイムで知ったけど、その当時はたいしたことないやろと避けてたわね。
日本映画業界の実力ではまずあの漫画のレヴェルに達するのは無理だろうなと予想してて。篠田監督って、下手な監督やん。これで絶望して。
予告編を見て。
原作にはなかった余計な女のお色気設定が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
中野みどりが映画評で
「子供を小さな大人として描写するのができない」
「日本映画は子供を描くのが下手。外国映画は子供を描くのが上手」
「演出が下手」
と酷評。
まあ、そうだろうな~と。
TVで、淀川長治、おすぎとで映画対談で。
淀川長治「私は大好き」
おすぎ「これ、いまいち」「先生、主役の男の子が好きだから甘いんでしょ」
淀川長治「きみ、ようも、そんなゲスなこと言うわね。もう口きかない」
まあ、これはね。
ゲスな邪推を言われたようで怒ってたけど。
淀川先生も、キチンとした反論と説得をできればよかったわね。
たとえば、
「主役のガキ大将のキャスティングは奇跡で本当に素晴らしくて、彼がこの映画を支えているわね」
「私にとっていくら性的魅力のある男性でも、ただ出演しているだけでは映画を認めないし褒めないよ。ただのアイドル映画みたいに、かわいいのがチャラチャラ出てるだけってのなら褒めないよ。無意味ならほめないよ。ミスキャストや映画をぶち壊しなら絶対褒めないよ。」
「確かに、演出はつたないわね。それは確かにそうね。でも今の日本のTVドラマのひどさ、日本の映画のひどさに絶望をしてきたから。これだけでも、本当に応援したいわね」
「特に1980年代以降は、日本映画が本当にろくなのがなくて絶望的で。これだけのレヴェルができたってだけでもうれしかったし応援したいわね。アニメで稼いで、しょうもない実写で見放されるわ赤字だわってのをアニメの稼ぎで補填ってのばかりだったしね。1980年代以降の日本映画で実写でいいのは数えるほどしかなかったのではないかな。しかもお年寄りから小学生まで鑑賞できてある程度のレヴェルに達しているのってなると、もうこれぐらいじゃないかしらね? 他はほとんど通向けばかりだしね」
「芸術性、政治的テーマ、商業性、大衆性、世代間格差なしに楽しめる、そいうのをギリギリ両立させられてるわね。今の日本映画界で、これだけできただけでも応援したいわね」
「日本の戦前、戦中、戦後の時代の精神を、今こうやって切り開いて見せて。それでいて観客動員、商業的成功へとつなげることができるのはなかなかないものね」
「戦前、戦中を生きてきたおじいさま、おばあさま、そして今現代の子供も、世代を超えてみんなが鑑賞できるレヴェルのができたってだけでも、うれしいし、どうしても応援したいのね」
「例えば、少年萌え、愛と憎しみとの複雑な関係をスイートに表現をして、観客の胸をキュンキュンさせて、感動させて泣かせてって。これだけできただけでも、たいしたものよ。応援したいわね」
例えば、こういうふうに分析できて、是々非々で説得できればよかったけど。ムッと怒っただけだったのは惜しかったわね。
TV放映されたのでチラッと見たけど、たまたま演出の下手な部分を見て。
小学生のデブチンが権力を握って、主役の都会からの疎開っ子を頭を押さえつけて、眼をつむりながら面白いお話をさせて聞きほれるとか。演出下手だな~とウンザリして。
なんで戦争中の食料不足のド田舎であんなデブチンがいるんだ!と腹がたったのと。演出の下手さでイラッときたのと。
それと、原作にはなかった余計な女の役が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
ところが、最近になって、ツイッターで原作漫画を褒めてるのを見て、思い出して。
それとネット検索をして、映画も思い出して。
AMAZONのDVD販売とコメントで、「同性愛、恋愛」とふれられてて。
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長い道
5つ星のうち5.0
これは良い
2006年3月22日に日本でレビュー済み
太平洋戦争末期、東京から富山県に疎開してきた少年が地元少年の権力闘争に巻き込まれていく。これは一見、少年の間のできごとのようにみえるが、実はそのまま、大人の社会の縮図になっている点が面白い。でも、それだけだったら単なる嫌な印象の映画で終わってしまったことであろう。でも、この映画にはえらく感動させられる。
なぜか?
それは田舎の少年の都会の少年への愛が強烈で、この映画が主人公の少年二人の「愛の物語」になっているからである。つまりこの映画は少年期特有の、ある種同性愛的な感情に切り込んだことで、原作をより深い物にまで昇華させたといえるのではないか。
圧巻なのは武が進二を救出するシークエンス。これが凄い盛り上がりなのである。そして、その後の写真館のシーンのすばらしさ。個人的にはラストシーンより好きだ。武が進二に殴られるシーンの悲しさ。これは武にとっては、もはや失恋である。
そして何よりも、クラスメイトの反撃によって完全に孤立したあとの武の姿が素敵である。体育館での、「何もいうな。俺、ちっともかわいそうでない」 このセリフに込められた、同情を拒絶する武士のような潔さとストイックさ。それが暗く陰湿になりかねない本作の印象を、きわめて爽やかなものに変えている。彼の暴力も、少年の未熟さゆえの過ちだったことが、このたった一つのセリフから伝わってくるのである。
それと、映画公開当時、女優の岸田今日子が、この映画の感想をある雑誌で、
「私が印象的だったのは、何だか恋愛映画みたいな感じがしたことだわ・・・」
と語っているのだが、実際、脚本の山田太一や監督の篠田正浩のインタビューを読むと、愛の物語にすることを意識して、この映画をつくったとのことである。映画公開当時も「二人の関係はきわめてセクシャル」と映画雑誌等で評価されていた。製作側と評価側の認識が一致している点からも、この作品が篠田監督の数ある作品の中でも傑作に価するものであることがわかろうというものである。
ちなみに、武役の堀岡裕二は地元出身で、当時、全くの素人だったそうである。しかし、この映画を傑作にしたのは、彼のすさまじいばかりの好演にあったともいえる。彼が本作限りで引退したのも、この作品の印象をより鮮明なものにしているように感じる。とにかく、自信をもってオススメする一本である。
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少年同士のせつない同性愛、恋愛ネタもいいわね。大好き。そういうの大好きなのに、なぜか受け流してたわね。演出下手そうだから、原作を汚されそうでこわいと避けてたのかなあ。
同性愛、恋愛ネタも思い出して。
ネット検索で「少年時代 藤子不二雄 同性愛 恋愛」で検索をしたら、色々とヒットして。
5CHのスレで、この映画を最高に愛している方々が熱い思いを語ってるのを見て、胸をうたれて。
できるだけ、是々非々で評価をしよう。再評価とチェックをしようって。
映画の予告編も見た。
ラストシーンだけを編集とアップされてるのも見て。
これはやっぱり、胸をうつわね。
私は、腐女子だからそういうネタが大好物だし、久しぶりに燃えだしてきて、
「少年時代 藤子不二雄 同性愛 恋愛」でネット検査鵜をしたら。
色々ひっかかってきて。
ある方のブログで、『シネ・フロント』第165号(シネフロント社)の記事の孫引き
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ayamekareihikagami.hateblo.jp
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山田太一 インタビュー(1990)・『少年時代』(2)
(略)
(配下からのクーデターにあった武が、慰めようとした主人公・進二を突き放すシーンについて)
あれはね、要するに失恋なんですよ。好きな進二が自分を裏切った側へついたというショックと、進二の目の前で全員に寝返られた屈辱が、彼にはものすごく堪えているんですね。
そういうとき人間がその次に採る方法は、巻き返すことと、我慢することしかないんですよ。
でも巻き返すっていうのは、もしかするとさらに恥の上塗りをする危険性があるわけです。
だから彼は、全く言い訳をしないで、とにかくその事態に耐えてしまおうっていうふうに、頑張るわけですね。
少年時代には、友情だか恋愛だかわからない時期があるのではないでしょうか
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『シネ・フロント』. (165)1990-07からの孫引き
藤子不二雄の熱狂的な大ファンでさえ、これはもう同性愛、恋愛だと。
koikesan.hatenablog.com
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進一とタケシの関係から恋愛感情のようなニュアンスを読みとったのは、なにも私だけではない。
たとえば、映画『少年時代』の脚本を担当した山田太一氏は、「僕はこれを恋愛映画として書く」と語っていたし、マンガ評論家の米沢嘉博氏も「見方によっては強烈なホモセクシャルな匂いさえ、このマンガには漂う」と述べている。
『少年時代』は、無骨で初々しく、ときには激烈でどろどろとしていて、しかも哀切にみちた余韻の残る、二人の少年のラブストーリーだった、といえるのではないか。
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みんなのシネマレビュー
→ 少年時代(1990)
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23.《ネタバレ》
戦時下における軍国主義的大人社会とその縮図として展開される子ども社会、そうした構図の見事さもさることながら、それ以上にすばらしいのは、少年期特有の幼くも常に真剣な彼らの感情やゆらぎをきちんとそこに写しとっていることだ。戦争のため都会から田舎へと疎開してきた少年の心もとない不安と、地元の少年たちが見せる他所者への軽蔑と畏怖いりまじる好奇心。少年社会における厳然たる階級と、ひそかに渦巻く野心。
その中でもひときわ目をひくのは、ガキ大将武が主人公進二に見せる幼い恋にも似た複雑で入り組んだ感情だ。
仲間内では高圧的にふるまう武が進二と二人きりの時にだけ見せる特別なやさしさ。自分自身わけのわからぬそんな感情にいらだつ武は、進二が上手だと褒めた零戦の絵を闇雲にぬりつぶし、時に無意味な乱暴さで進二を小突く。
しかし反面、隣町で悪童たちに囲まれる進二のもとへと黒いマントをひるがえし駆けつける彼の疾走は、愛する者を守るため悪に立ちむかうヒーローのそれ、そのものでもある。秀逸なのはそれに続くシークエンスだ。追っ手から逃れ隠れた雪の納屋で子どもらしく小便する進二とその後ろ姿をただ見ている武のさりげなくも印象的なショットを経て、二人がその足で向かう写真館。再び湧き起こる厄介な感情に、武はやはりどうしようもなく進二を力でねじ伏せてしまう。そしてただただ涙をこぼすのだ。この一連の武の姿がたまらなく胸をしめつけるのは、それが彼の初恋の有り様にほかならないからだ。
物語の終盤、クーデターにより失墜した武が頑なに進二を遠ざけるのは、ガキ大将として以上に幼い恋を前にした一人の男として、彼が敗北を喫した自分に厳しく課す、貫き守るべき最後の誇り、それがゆえだろう。トンネルのゆるやかなカーブにつれてゆっくりと彼方に閉じていく少年時代、やがてそれは写真館で撮った二人の写真へとつながる。身震いするほどにすばらしいラストシーンだ。飾られた写真の中の幼くも凛々しい二人。形にはなり得なかった、けれどもなにより確かなその思いの、なんと誇らしく美しいことだろう。たとえトンネルの向こうには二度と還れなくても、それはあの日の武のように誇らしげに胸をはり、確かにそこにあるのだ。輝かしくも傷だらけの少年時代の、そのかけがえのない勲章として。
【BOWWOW】さん [DVD(邦画)] 9点(2009-09-16 21:04:43)(良:4票)
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5chの『少年時代」のスレが傑作で。
rio2016.5ch.net
「この映画には、抑圧された同性愛が含まれている」って。
私もそう思う。
その解釈には反対して、「同性愛なんかじゃない!」と反論する意見もあるけど。
このスレには、映画版『少年時代』を愛する方々の熱い思いが次々につづられている。
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6 この子の名無しのお祝いに 03/12/09 21:56ID:kZ9RT0wA
>>116
武が女の子と仲良くする信二に嫉妬して、戦闘機の絵を塗りつぶすところ、
信二と女の子の相合傘を書いて悪戯して仲を引き裂こうとするところ、
信二に誰も近づかないようにさせる武の独占志向なところ、
プライベートでは実に信二と仲良くするところ、
最初見たときこれらのシーンに理解できなかったけど、同性愛だよねこの映画。
同性愛が表現したくなければこれらのシーンは特に必然性はないように思う。
そう見るとこの映画は子供映画とは別の裏の顔が見える。
原作漫画もこういう同性愛なノリなん?
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10この子の名無しのお祝いに03/12/09 22:50ID:ReB1tosE
ちなみに武の演技でステキだと思うのは、
1位 雨の講堂で「俺、ちっともかわいそうでない」というシーン
2位 写真館で「わからんのう」と涙するシーン
3位 ラストでヒットラーユーゲントするシーン
4位 電車に追いついて「進二!」と叫ぶシーン
5位 進二を救うため、自転車を一途に走らせるシーン
11この子の名無しのお祝いに03/12/09 22:55ID:ReB1tosE
つづき
6位 お寺で疎開の子を襲おうとして「もう、わりゃぁ、土地のものでないがか」と同意を求めるシーン
7位 「じいちゃん、おれ、いってくっから」と言って走り出すシーン
8位 弟にウンチさせて「全部でたか」と優しくきくシーン
この映画大好きで100回はみたな
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93 この子の名無しのお祝いに04/11/27 20:53:00ID:o7m5C1k/
この映画を最初に見た当時、一番印象に残ったのは配役だった。
主人公である都会から来た優等生は当たり前に典型的美少年。
それに対するもう一方の少年だけど、これは都会の少年から見ると
理解しがたい、得体の知れない所があり、暴力性も持ち合わせている。
この役に抜擢された少年が明白に、日本人の持つ「半島系イメージ」
の外見的特長をを色濃く持ち合わせているのが興味深かったんだよね。
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95この子の名無しのお祝いに 04/11/29 22:11:43ID:TwCZQBA7
武のあの一重瞼の目が印象的。
頼もしくも見え、優しくも見え、怖くも見え、不気味にも見え…みたいな
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248この子の名無しのお祝いに2006/08/04(金) 17:05:23ID:yLhhoYSC
243さんへ。公開当時、同性愛的な(官能的な)物語になってる点は多くの映画評評論家
が指摘してたよ。これは「愛の物語」だってね。篠田監督も脚本の山田太一も
意識的に恋愛映画みたいにしたってインタビューで言ってたな。女優の岸田今日子
がこの映画をみて、「この映画で面白かったのは、二人の関係が恋愛映画みた
いな感じがしたところだわ」ってインタビューで答えてた。
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437この子の名無しのお祝いに2008/08/13(水) 02:08:30ID:b3dfBqaK
他もそうだけど、堀岡君の起用は正解だよな
子供なのに男の色気があって設定にも合うし、役ではなくあのままの性格なんじゃないのかと思わせる程ハマり役
最近の映画は内容は魅力的でも、配役だけで監督のセンスの無さを感じてしまう
ディテールなんかも画として大切で、拘りを持つべきだとも思うけど、そこも魅力的じゃなかったりするし
話が面白いだけで終わってしまう魅力的でない映画ばかり…
俺が知らないだけなんだろけど…
まあジャニに牛耳られてしまった日本のエンターテイメント界に明るい未来は当分見出だせないだろな…
もし今リメイクされたらどうせタケシ役にジャニ進二役にジャニ須藤役にorz
勿論長髪有りで風景はCG
僕は俳優だってなんでもこなしちゃうナルな演技にどう?イケてるでしょ?感w
だめだこりゃ…
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438この子の名無しのお祝いに2008/08/21(木) 03:00:58ID:rrN+7ve2>>440
武が信二の立ちション姿を見て複雑な顔をする
↓
そのあと信二を殴る
このシーンを見たとき、胸をえぐられるような切なさを感じたよ・・・
好きなのに絶対に好きって言えない。距離が近ければ近いほど愛しくて、苦しい・・・
あ、ちなみに俺ガチホモです。
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572この子の名無しのお祝いに2011/05/18(水) 00:31:09.24ID:+TSRV7zI
伸二が気持ち良さそうに小便してる姿を武が見て一緒に写真館へ行こうと誘った時に、性への目覚めと愛を表現したのかなと思った
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575この子の名無しのお祝いに2011/07/08(金) 21:44:28.35ID:eCqlLFZT
>>570
いや、藤子Aの時点でこの作品に同性愛の思いを入れてるよ。
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この映画をすごく愛している方々が大勢いるのね。
もちろん、このスレには色々な意見が分かれてて。
「漫画のほうを傑作と評価し、それからしたら映画化の方を低評価」の方もいれば。
「原作の小説を一番評価し、映画の方を低評価」の方もいるし。
「映画の方を最初に観て感動したけど、漫画の方は絵がホラーみたいで無理」だとか。「漫画のほうは重すぎて無理」だとか。そうだろなあ。
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この漫画化には魅力が色々あるけど。
戦前から戦中、戦後にかけての精神史の断面が見事に切り開かれている。
戦前の前近代的な人間関係への違和感も書かれているけど、打倒ファシズムにもやり過ぎの部分があったし、それにも共感できない気持ちも書かれているし。
都会のリベラルで平等で公平で対等な人間関係を経験してきた少年にとっては、田舎の前近代的な縦型のマッチョな独裁体制には嫌なものを感じてきたけど。いい部分もあるし、愛憎半ばする複雑な感情で。でも、最後には対等な友情関係が築けるかと期待し、でもガキ大将の早すぎる死でそれもかなわなかったけど。
第二次世界大戦中の日本を舞台にしながらも、今現代の若い世代の子にも楽しめるし、お年寄り世代にも楽しめる。こういうのは本当になかなかありえないからね。
それと、この漫画の魅力の一つが、抑圧された同性愛、恋愛のもだえ。
今時の腐女子のBL漫画はもう甘ったるすぎて、もう飽きちゃったし。
ゲイの同性愛漫画も、私の好みではなくて。
ところが、『少年時代』の愛と憎しみとが交差する関係に、同性愛と性とをさりげなく追加したら、私好みのちょうどいいぐらいのBLができるはず。
田舎の貧困少年が、都会の恵まれた階級の転校生への愛と憎しみとで複雑な感情で。
抑圧された同性愛、恋愛感情。
藤子不二雄のA先生は、抑圧された同性愛の美学があるなあ。
都会からのシンイチと富山のタケシとが水泳に行って、シンイチが別の地域の対立グループにからまれたら、海からふんどし一丁でタケシがかけつけてくる場面は、ホモのエロスにあふれてるなあ。
少女読者好みのBLじゃなくて、泥臭い『さぶ』みたいな。
劇画タッチで、筋肉隆々の兄貴って感じで、小学生には見えないわね。なんか、ホモ雑誌の『さぶ』みたい。
この映画の魅力の一つは、私たち女性好みのちょうどいいぐらいのスイートな少年萌え
少年萌え、愛と憎しみとの複雑な関係をスイートに表現をして感動させて泣かせてって。
映画は、少女読者好みのBLっぽいスイートさにあふれている。
萌え~。
私はもう願望もこめて、抑圧された同性愛と解釈するけど。
でも中には、同性愛説をすごい嫌がる方々もいるのね。愛する映画を汚されたようで嫌なのかしらね?
「違う! 田舎の貧困家庭の子が、都会の裕福な子に対する愛憎だ」
「子供時代の曖昧な友情関係には、これと似たような愛憎はいくらでもある」という反論をするのがいるわね。
同性愛関係と言われるのをものすごい嫌がる方々も大勢いらっしゃるわね。
都心部に進二が行くと、対立グループにからまれたら、タケシがかけつけて助けてくれて。
写真館に行って記念撮影をして。
暗くなるまで写真館で待機してる時、進二が「タケシくんは優しいのに。なんで・・・」
タケシ「いじめるのかってか?」
そして進二を床に押し付けて「わからんのう」と涙ぐむ。
ズキューン! 腐女子直撃!
もう、このまま都会っ子をレイプしてーーーー!
小学生同士のレイプなんて載せたら完全上映禁止なるけど。
これ、やおい本で小学生同士のレイプ本なんて出したらもう今なら抗議殺到しそうだけど。
海外では厳しく禁止されてるとか(アメリカのアニメ『シンプソン一家』で、主役の男の子が下半身すっぽんぽんになってお尻が見えるシーンでさえ禁止とか! 「誰があんなのに欲情するんだ?」ってツッコミきてたな)。
でも私はほしい。私に書ける能力があれば、頭の中の妄想をいくらでも書くのになあ。私の頭の中では、タケシは都会っ子をこのままレイプしてるけどね。
私は本当は右翼のマッチョで暴力的な男の人は大の苦手だけど。
いたいけな男の子、ショボくてかわいいキモオタ君のほうが好きだけど。
いたいけな男の子が色気のあふれた強い魅力的な男の人からレイプされるという設定にズキーッ!とくるから。
「過去に強い男の人にレイプされました」というイタイケナ男の子にはポイントが上がるし、だきしめてあげる。
好きな場面は、他にもね。
都会っ子がいじめっ子たちからいじめにあったら、太めの子からかばってもらえて仲良くなって。その太めの子が読書が苦手だというから、面白い本のあらすじを教えてあげたら。
タケシらが「シンジと口をきいたやつは制裁をする!」って制裁をして。
都会っ子の家にまでタケシが来て。「フトシに面白い本の話をしたのに、俺にはできんのか! 話をしろ!」と言い出して。
都会っ子が正座のまま、恐る恐る、少しずつ確認しもってお話をしだして、その間がいいし。
「『岩窟王』でいい? いい?」
「ナポレオンの時代だけど? ナポレオンって知ってる? ナポレオンの説明しようか?」
タケシが「イチイチ俺にきくな!」「いいから話せ!」と怒鳴って。その時のタケシの凄みと貫禄と色気がすごい。
都会っ子への燃えるような独占欲の色気を発散している。
それと都会っ子のほうが色々知っているのに自分は知らないことへのコンプレックスと嫉妬もにおって。それでいて謙虚に教えをこうとか頭を下げるなんて絶対できなくて。好きな場面ね。
映画『少年時代』、華奢なシンジは正座でハラハラしながら巌窟王を語る。タケシはドスと凄みをきかせて胡座で命令。
それからシンジの語りで、映像には古い時代の娯楽小説の挿絵が次々と現れて。
あの当時の大衆娯楽のレトロにウットリするし。
あの当時は、話を語る語り部ってのが娯楽として成立し、重要だった時代なのね。
華奢でひ弱くても読書家(オタク)の男の子が重用されるのを象徴しているのも、ショボくてかわいいキモヲタ君好きの私はうれしい。
最後の方で、タケシへのクーデターで権力失墜、病弱なおぼっちゃまが過酷な制裁をするようになって。
映画の最後のラストシーンは、甘い別離のシーンで。感動。甘い甘い追憶。これにはもうメロメロなるわね。
そして場面が変わって、二人の写真が豪勢な本棚に飾られてて大きなハードカバーの本の本棚で、背表紙に「伯」という時だけ見えるのは大人用の「モンテクリスト伯」の本でしょうね。思い出の本なのねってハートがメロメロなるわね。
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それぞれのファン層、それぞれの作品の評価の違いを是々非々で。
原作小説、漫画、映画、それぞれの違いと是々非々。
昔、角川書店が映画化で「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーをしてたけど。
漫画の『少年時代』の映画化も、「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーがピッタリね。
★ 原作の小説は、一流の文学者が実体験を元に書いたから、主人公の過酷な状況描写はリアル。いじめ、暴力描写も過酷。最後は冷めたまま終わり。感動の結末はなし。
★ 藤子不二雄の漫画の『少年時代』は、小学生でも激しい権力争い、イジメ、暴力を描写で、つらくてよう読めんって読者もいるでしょうね。児童漫画家時代のかわいいタッチと劇画タッチのドス黒い陰影ある絵とで相克があるわね。小学生のはずなのに小学生には見えない、小さな大人にしか見えない、ダークな陰影の濃い劇画タッチなのには、濃すぎて引く人もいるわね。
小説にない設定を追加してて、ケンスケ(戦後民主化の暗部の暗喩)の暴走、最後の感動ポイントを追加したのは個人的には一番好き。
★ 映画化された『少年時代』は、甘いノスタルジー。スイートなエンディング。登場する小学生たちがみんな、ほんものの子供で、かわいくてキュンキュンもだえる。ガキ大将のキャスティングが奇跡。
そっちを見てから原作の漫画のキャラクターの絵を見ると、どう見ても子供には見えない、劇画のおっさんみたい、という欠点が目立つようになるわね。
映画ではいじめ、暴力シーンをかなりマイルドにおさえてるわね。映画を見てから原作の小説や漫画を読むと暴力が過酷でつらくてよう読めないって方々もいるでしょうね。
作品としての質の高さと私の個人的な好みとで、藤子不二雄の漫画化の方がいいけど。
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まずはこれを読んで感動で号泣をしてから、映画化を知ったから全然期待して無かったし、かえって原作が汚れる思って避けてたのね。
TV放映された時にチラッと見たら、演出が稚拙、余計な女の色恋ゴタゴタが追加されてると感じて避けてしまってた。
小学生のデブチンが権力を握って、主役の都会からの疎開っ子を頭を押さえつけて、眼をつむりながら面白いお話をさせて聞きほれるとか。演出下手だな~とウンザリして。
なんで戦争中の食料不足のド田舎であんなデブチンがいるんだ!と腹がたったのと。演出の下手さでイラッときたのと。
漫画では、3人の小学生の登場人物の役を、一人のデブチンにやらせたから、焦点がぼやけておかしくなったのね。これはやっぱり、3人の配役に分けてほしかったわね。
山下清みたいな優しい田舎の子。
タケシがシンイチを仲間はずれにすると決定をしたのに、シンイチと喋ったので集団リンチされて、もうシンイチとは口きかんと態度を変える子。
強面で体がガッシリとでかくて、シンイチをかばう子で、タケシともいじめっ子とも対峙できる男の子。タケシとのタイマンで負けたので配下にくだる。
でも、どうみて小学生とは見えないけどね。こんなキャスティングは探すのは難しいでしょうね。
そうだ、もう一人の役とエピソードがあったわ。
シンジが自慢のバックルを、いじめっ子ノボルに奪われるエピソード!
そのいじめっ子から、タケシがバックルをタイマンで奪い返して。それを一応表向きには強奪したように見せて、実は隠れてシンジに返してあげて。今後は表に出すなと。
つまりタケシが悪役になっていじめっ子ノボルに恨まれてしまったのね。これが後々の裏切りとクーデターと遺恨につながるという重要なエピソードなのに。
それを映画では、タケシ失脚後、デブチンが卑しくもらおうとしたという風に改変をしたから、役柄と焦点とがぶれてしまってるわね。
それと、映画化では、原作の漫画にはなかった余計な女の役が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
作品としての質の高さでは、漫画のほうが圧倒的なのね。
でも、その後、忘れてたけど偶然なきっかけが重なって、藤子不二雄の漫画化を思い出して。
それから映画化の方への熱い思いを語る方々の意見を読んで、心が洗われて。再評価するようになってきて。
映画化されたものが、どこがどう愛されるか?
★ ガキ大将、タケシのキャスティングが奇跡で神レヴェルで。
性的に魅力があって色気があるから。これはもう破壊力がすごいから、漫画のキャラクターよりも心をうつのね。
★ 実際に演じているのが小学生の子供たちで、かわいい。丸坊主で、素朴で。これ重要。実写のインパクト。
★ ラストシーンのスイートさのインパクト。実写の汽車、田舎の風景、トンネル、そして主題歌のインパクトの相乗効果は強烈。
逆に、最初に映画を見てから、藤子不二雄Aの漫画を見ると、藤子不二雄Aの漫画のほうに苦手意識を持つのが当然でてくるわね。
ダークでヘヴィーで怖いし。 いじめや暴力の描写はもっと過酷やし。
主要登場人物の小学生らが、子供には見えない。大人の雛型という違和感を感じるわな。
タケシのキャラは、劇画タッチで大人にしか見えないわな。
主役をかばう、体格のいいマサルも、劇画タッチで大人に見えるし。
他の小学生、中学生キャラも、劇画の悪役の大人にしかみえないし。
特にタケシを権力の座から追放する、病弱なおぼっちゃまでインテリ君も小学生には見えなくて、どうみても、共産党か左翼の活動家にしか見えへんし。戦後の民主主義への移行への闇の暗喩なんだけどね。
映画化でタケシを権力の座から追放する、病弱なおぼっちゃまでインテリ君。
漫画ではケンスケ、映画化では須藤君だけど。
漫画家では、小学生には見えなくて、どうみても、共産党か左翼の活動家にしか見えへんし。戦後の民主主義への移行への闇の暗喩なんだけどね。どうみても、おっさんくっさいわ。
ところが、映画化では、ちゃんと本物の子供が演じてて。しかも端正な美少年くんが演じたから、魅力があるし。ネット上での映画化での感想で「須藤君、好き」って書いてる女子もいてたわね。そういう子が映画を見てから、原作の漫画を見ると、暗い絵でおっさんくさいからガッカリするかもしれないわね。
役柄として、民主化への暗部の暗喩だし、タケシへの同情をわきおこす設定だし、デブチンへの暴力制裁を指示し実際にキックを何発もお見舞いもするというひどい役柄だけど。漫画では暗いおっさんくさい絵だけど、映画化では端正な美少年だから悪の魅力はあるわね。
漫画、映画を見てから、原作の小説を、図書館で借りて読んでみると。
原作の小説は、もっと過酷。
藤子不二雄Aの漫画は、この映画の小説を彼なりにかなりアレンジをして、スイートに感動ものにしているわね。
さらに映画化はさらに藤子不二雄Aの漫画をスイートにしているわね。
原作の小説には、スイートな恋愛、同性愛的な要素はもう全然なし。萌えポイント全然なし。
ガキ大将のタケシを、他の暴力男たちが権力の座から追放して。
暴力がひどくて、元ガキ大将のタケシを半殺しにして、タケシの歯はボロボロで口に銀歯をいれかえて。ひどい。主人公は、タケシの歯が銀歯になったのを見ても冷たい、ってひどい。
タケシの父親が学校に相談にきたので、教師がクラスで問題視して取り上げたので、とりあえず、他の生徒たちはタケシへの暴力制裁を少しはひかえるようになって。
タケシの権力の座からの追放の後は、群雄割拠状態で、どこにどう立ち回ったらいいのか、下の弱い子らはオロオロ状態でかえって。困ることになって。
こういう筋たてのほうがリアルね。
タケシが銀歯をした口で、主人公に話しかけて来て一緒に中学いく勉強のおさそいがあったけど、主人公は冷たかったとか。それ、ひどい。
漫画でも、映画化でも、主人公が元ガキ大将を心配して話しかけるのに、タケシは拒絶するのに。そのほうがタケシの魅力的になるのにね。小説だと、タケシは主人公からもう全然興味の対象外で哀れで惨めなのね。
主人公が後で反省をして、自分が都会から来て、田舎の秩序を乱したから、それで田舎のタケシも興奮して過剰反応をしてしまったのではないのか、って。
主人公が都会に帰ってから、タケシから手紙と写真とが送られてきたけど。
手紙には、タケシ失墜後に権力の座に君臨していたやつがクーデターおこされて全然学校に来なくなったとか。
主人公は手紙と写真を見て、冷淡なまま終わるとか。
さびしい終わり方やなあ。
そういう哀しい、寂しい結末を、漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジしたのね。
小説の方がリアルだけど。
エンターテイメントとしての後味の良さは、漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジのほうがいい。
漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジをして。
映画化でも、藤子不二雄の感動のアレンジを取り入れて、スイートな結末へと昇華したのでしょうね。
それと、小説では、タケシを権力の座から追放するのが同じようなマッチョな生徒たちで群雄割拠状態になるのだけど。話としてはこっちのほうがリアルね。
藤子不二雄の漫画家では、民主化の暗部としてアレンジしてるわね。私には、こっちのほうがズキーとくるし、今にも続くテーマね。反差別活動家の暴走とか。
漫画での設定では、タケシを権力の座からひきずりおろせたケンスケってのは、病弱でおぼっちゃまでインテリということになってるけど。漫画のこういうタイプの顔は共産党か左翼か組合タイプでよう書かれるステロタイプの顔で。戦後左翼の暴走のイメージ化というふうに感じたわね。
それと漫画のケンスケの顔はどうみても子供じゃなくて、大人の左翼か共産党か組合の活動家の顔ね。戦後の民主化、左翼の暴走を暗示しているのでしょうね。
そして和解へと続き、号泣と感動と。そして悲しい別れと。
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5CHの「少年時代」のスレで、
韓国の映画で、日本映画の「少年時代」のパクリみたいなのがあるって書かれていて。
韓国映画『われらの歪んだ英雄』
面白そうだからチェックしてみて。
日本映画の「少年時代」とかなり酷似している。これはもうかなりの影響を受けてるわね。
ただ、違いもかなりある。
その違いで、国民性の違いや歴史の違い、文化の違いを分析できると面白いわね。
それと、どこにどう魅力があるのか、魅力が無いのかの違いも分析できると面白いわね。
私なりの視点だけど。
日本の映画『少年時代』で腐女子のハートを直撃されたから、その路線をぜひって期待をしてたから、そういう意味では期待を裏切られてしまったのね。
韓国映画『歪んだ英雄』には、主役の二人に、せっかくルックスのいい若い少年俳優たちを出しているのに。
色気が全然ない。
女性観客向けに美少年俳優を堪能するような要素もない。
同性愛や恋愛を邪推できる要素なし。全然、萌えポイントなし。そこが惜しいわね。
それと通俗的な商業的な性的魅力がないわね。
藤子不二雄の漫画や映画版『少年時代』みたいな、感動の和解もないし。
カタルシスもないし、ラストの感動もないし。
韓国映画『歪んだ英雄』は、作品としての質も高いし、監督としての演出の実力はおありなの。政治性、社会的背景との咀嚼、芸術性、文学性もあるの。
でも、美少年ファン好き、BL、萌えるの希望の観客をもだえさせるような性的魅力がないの。何度もリピートしたいと思わせる性的魅力もないし。感動ポイントもないし、商業性もないわね。
地味な展開で、ラストの終わり方も地味で陰鬱だし。
やっぱり、藤子不二雄A『少年時代』には読者アピールの大衆性と感動ポイントがあったし、映画化も観客アピールする少年萌え、セクシーさ、キュンキュンさせる部分、感動ラストがあったわね。
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話飛ぶけど。
これがもし、設定を戦前、戦争中の朝鮮半島にして、日本本土から来た成績優秀なリベラルな家庭のおぼっちゃまが、朝鮮半島の生粋の土着の朝鮮人で貧乏人のガキ大将に翻弄されるという設定にしたら、話がもっともっと強烈になってたやろうなあ~。
5chのスレで、主役のタケシ役をやった俳優について、
「日本人が思い浮かべる朝鮮半島系のイメージもある」
「得体が知れず、異文化で、何をしでかすかわからず、暴力的で」
ってたしかに。
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以下、続きます
noranekonote.hatenablog.jp
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