今里の「紫金城 (しきんじょう)」、韓国式中華料理、満州風味もある珍しいのでランチ

「紫金城 (しきんじょう)」

 

近鉄、今里駅、

一見、よくある町の中華料理店

 

だけど、実は珍しい韓国式の中華料理店で、満州の風味もあるとかで

 

満州と言えば、色々と連想するよ。でも満州料理って、全然知らないわ。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

暑い日に肉体労働をしたから汗だく、食欲がなくって

 

 

ランチメニューには、冷たいのがないの。ボリューム満点で、どうしよう?

 

迷いに迷って、日本式チャンポン。せっかく、ここに来たのに、韓国式でも中国でも満州でもないの。ごめんね。

ところがこれが大正解!  私は魚介類大好物だから。イカ、貝、キクラゲが美味しくって、それと食欲不振でも魚介類の汁物だと喉を通って、全部平らげられました。満足ー!

 

他の方はお皿に赤い細かいのを残してました。どうやら、唐辛子の原型みたい。

やっぱ、韓国か中国やなあ。

 

 

 

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食べログのコメントが興味深いわね。そうなの~?

 

tabelog.com

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fromosakafromosaka(44)さんの口コミ[携帯電話番号認証済]
1回

夜の点数:3.5
- / 1人詳細
1回目
2021/08訪問

dinner:3.5
[ 料理・味 3.6 | サービス 3.1 | 雰囲気 2.8 | CP 3.5 | 酒・ドリンク 3.0 ]


韓国にしかないはずの韓式中華が、ここにありました。

 知人に連れられて韓国の役所の食堂で食べたジャージャー麵。その味が恋しくなって、一人旅の時、韓式食堂で注文しても、怪訝な顔をされ「うちは中華料理店ではありません」と言われたものでした。実はこの麺。日本の天津飯のように、韓国で生まれた中華料理で、中国にはありません。もととなった山東料理(日本の中華料理店では大抵これが出てきます)の麺とは、味がまったく違います。あの味が味わえる店をようやく見つけました。

 今里新地のはずれで、アフリカ料理店を探している時、偶然みつけました。場所は近鉄の今里と鶴橋の真ん中あたり、今里駅の方が若干近いです。駅を出て南の商店街をまっすぐ南進。少し大きめの道路との交差点をわたって右折します。今里新地と書いた看板の横断している東リと交差するまでひたすら直進。10分程歩いたとき左手みえるコンビニが目印です。で、そこを左折。一つ目の交差点の南東角のお店です。

 お店のドアには正宗東北料理と書いてあります。正宗というのは中国語では元祖という意味。ドアを開けると、壁一面に所狭しと料理の写真が貼られています。写真の四隅に、中国語とハングルと日本語で料理名が、あとのひと隅に値段がかかれています。

 韓国料理屋さんの定番、冷麺の写真もあります。うどんやチャンポンもありますが、日本のものとは大違い。見ているだけで楽しい。メニューの数は、100種類ではききません。一階も二階も壁中、料理の写真だらけ、まずは、たのしみにしていたジャージャン麺を注文。100%韓国で食べた味です。具の変化でジャージャン麺だけでも三種類。毎日通って、沢山の種類の料理を味わいました。

 毎回共通しているのが、無料の突き出し。キムチではなくて、日本の沢庵と生の玉ねぎのぶつ切りと甜面醤がでてきます。口の悪い韓国人に言わせると、日本から入ってきたものの中で、この沢庵だけは絶賛できるそうで、われわれにはただの沢庵ですが、韓国の方々にとっては、異国の雰囲気の味わえる一品だそうです。


 このような韓国の中華料理は、中華料理を基にして、韓国固有の食材を用いて韓国人の味覚に合うように変化した「韓国式の中華料理」のことです。地理的に中国と韓国は互いに近いため、大部分の韓国式中華料理は中国北部、特に山東料理の影響を受けています。しかし、一部の韓国式中華料理は中華料理と言うよりは、朝鮮料理にずっと近いものもあります。韓国でチャジャンミョンは代表的な出前料理ですが、中華料理店では基本的に全てのメニューが出前可能です。

 李氏朝鮮時代の朝鮮半島では商業が発達せず、当時存在した飲食店は酒幕(チュマク) 程度で、旅行者、あるいは負褓商と呼ばれる行商人に寝床と飲食を提供するのが目的でした。鎖国状態だった朝鮮が1876年に海外への門戸を開いて以降、本格的な外食産業が登場し、中でも多数を占めたのが中華料理店でした。

 その頃の中華料理店は、韓国で中華屋と呼ばれる大衆的な食堂とは異なり、本格的な中華料理を供するもので、利用者は富裕層でした。当時の中華料理店は、朝鮮半島では珍しい2階建ての建築が普通であり、1階にはホール、2階に客室が設置され、酒の接待をする妓生(キーセン)を常駐させた店もありました。

 日本統治時代の京城府の雅叙園、金谷園、大観園、四海楼のような中華料理店は、富裕な日本人と朝鮮人のみが頻繁に利用できる最高級の料理店で、中華料理というよりは「清料理」と呼ばれ、政治家らによる密室政治の舞台となっていました。

 現在、大衆的に人気があるチャジャンミョンやチャンポン等の韓国式中華料理の大部分は、華人によりチャイナタウンが営まれていた仁川広域市で生まれたものです。

 朴正煕政権は、通貨改革と外国人の土地所有禁止策を通じ、華人の経済力を弱体化させたため、多くの華人が韓国を離れ、残った者達が運営できる生業も外食産業に限られていました。1960年代から1970年代にかけ、政府が粉食を奨励すると、比較的調理時間が短い中華料理は時代の要請にも合致して大衆的な外食料理として定着し、現在の中華料理店は華人ではなく、韓国人の所有、運営によるものがほとんどとなっているそうです。

 この店の看板は東北料理。お店の人は中国語を話していましたが、お子さんはチマチョゴリを着ていました。中国東北地方の韓族なのかもしれませんね。国内にいて海外旅行気分です。いただいた料理を動画に編集しましたので、よかったらご覧下さい。

https://youtu.be/5Jhuzbpy4hM

 

 

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満州といえば、有名人がたくさんいる。

ちばてつや赤塚不二夫。漫画で『フィチン再見』上田トシコの生涯、面白かった。

 

 

でも、満州料理って、全然思いつかないわ。

赤塚不二夫満州からの引揚げ者の一家で、仲間によく餃子料理をふるまっていたとか。満州からの引揚げ者が日本に餃子を広めたとか。その満州の本場の餃子を、日本人の口に合うようにアレンジしたから、本場の満州の餃子とは全然違うとか。

 

 

 

 

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