韓国本土の韓国の歴史映画を見ると、在日とは別物だと言うことがよく分かる!
『国際市場で逢いましょう』
朝鮮戦争からの避難民の一家の歴史物語。
避難民一家がアメリカの救援の船に乗ろうとしたら一家離散となってしまって。
残された長男が家族の生活を支えるために尽くしてきた。
西ドイツの炭鉱への出稼ぎ。そこで看護師として働いていた女性と結婚。
そしてベトナム戦争で身体障害者になる。
赤ん坊の頃に生き別れになった末の妹はアメリカ人として生き残っていて再会できた。
これが韓国人の朝鮮戦争以降の正当な歴史観なんでしょうね。
これを見て違和感を感じたわ。
なんで日本が出てこないの?
なんで、日本への出稼ぎとか密入国とか全然出てこないの?
そう。日本からの独立後、韓国の軍事独裁政権下では、日本への渡航にも日本からの入国にも厳しい制限があり、日本との国交断絶状態でした。
正当な韓国の歴史では、貧困層はドイツへの出稼ぎが正当な道だったし。
朝鮮戦争での離散家族は、アメリカへ行ってアメリカ人になることなのね。
日韓の渡航制限が解除され、就労ビザや就業ビザが正規に通るようになったのは、1989年以降なんでしょうね。
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前回のエントリでふれましたけど。
エル金氏らが前田氏や和田アキ子氏を「裏切り者」のように激しく叩く理由は、彼らの存在が「自分たちの被害者ビジネス」を脅かすからです。
出自のコンプレックス
ここで日本と朝鮮半島と在日の歴史を説明します。
日帝は1910年に朝鮮半島を統治下におきましたが、1945年にアメリカとの敗戦後、アメリカから朝鮮半島の統治権を没収されました。
朝鮮半島は日帝からの独立後、一時期はアメリカの統治下にありましたけど、その後は朝鮮半島は、共産党の北朝鮮か、反共の韓国とに分断し、泥沼の混乱になりました。
北朝鮮政権でも韓国政権でも、政権が大混乱状態だし、お互い疑心暗鬼だし、しかも日本への渡航にも日本からの受け入れにも厳しい制限がありました。
私の推測ですが、戦後80年以上もたってもいまだに在日何世で居続けている層についてすが、本当は戦前には日本に居住していなったのではないのか? これは重要な要件です。
元々が朝鮮半島に居住していた朝鮮人で、日本の敗戦後からの独立後は、北朝鮮政権の国民であることを選んだか、韓国政権を選んだ国民だったのでは?
しかも、北朝鮮政権下でも日本への渡航に厳しい制限下にあった時代だったし、そして韓国政権でも、イ・スンマン政権下でも、朴正熙政権下でも、日本への渡航に厳しい制限下にあった時代でした。そういう時代に、自国からの国境を破って日本に密入国で入ってきた「後ろ暗い経歴」を持つ層かその子孫なのが結構含まれているのではないのでしょうか?
彼らにとって、前田氏や和田氏の先祖のような「大日本帝国統治下(1910~1945年)から日本に居住していた正当性を持つ在日」の歴史観と救済策は、自分たちの偽装を暴く鏡のような存在です。
被害者意識の絶対化
彼らは日帝(1945年以前)を「加害者」「(広義の)強制連行をされた」として固定し自らをその「被害者」と叫び続けなければ、自分たちの日本在住の正当性を維持できません。
前田氏のように「日本に理解を示し、歩み寄る」姿勢は、彼らにとっての「生存戦略(=対立による利権獲得)」を根底から覆す禁忌なのです。
前田は在日の戦後の密入国や身分証偽造の歴史を知りつつ、あえて触れずに「在日には無条件で国籍を与えるべき」と配慮していましたが、その微妙な差異は外部の日本人には理解しにくいものです。
在日コミュニティの三層構造
1 日帝の敗戦(1910~1945年)前からのオールドカマー(正当派):
日帝が朝鮮半島を統治した1910年以降から日本に居住し、日本のために忠誠を尽くし戦争にまで行ってきて、太平洋戦争敗戦前(1945年以前)から居住していた層。前田氏や和田氏の先祖ですね。
前田日明氏が日本の保守層の心をうつような救済策に合致するのはこの層です。
漫画『はだしのゲン』の朴さんが在日の神話的なモデルになっていますが、そのキャラ設定はかなりおかしいし、実は今いる在日とは全く別物でしょうね。
朴さんは特別なエリート階級だから、日帝の統治下(1910~1945)の朝鮮半島から徴用で呼び寄せられたのです。戦前から日本に合法的に滞在していたごく少数の超エリート中のエリートです。
それ以外はほとんどが密入国でした。
日帝が朝鮮半島を統治した1910年以降でも、朝鮮半島の朝鮮人が日本国に入国するには特別な手続きが必要でした。よく在日が「先祖が日本統治かの時代に朝鮮から日本に来たけど、その当時は九州から東京に行くようなもの」というのは大嘘です。日帝がいくら厳しく禁止しても、朝鮮半島からの密入国が大量にやってきて、朝鮮半島の管理責任者に厳しく注意をしても無理でした。
戦前から来ていた朝鮮系のエリート層は日本の敗戦後には、朝鮮半島にいる親族を心配して帰国してしまったのでしょう。
戦後にガラの悪いのが密航でやってきて、闇市を支配するヤクザになっていったのでしょう。
朴さんは警察の目をかいぐぐって田舎で食料を仕入れては闇市で販売する大金持ちになっていて、お金に困っていたゲンに大金を与てくれて、ゲンは泣きながら感謝するという設定ですが。
朴さんの人物設定はかなり極端ですね。全然別者なキャラ(戦前のエリートと、戦後の闇市業者)を同一人物として混在されたキマイラみたいなキャラ設定をされていますね。
2 日帝の敗戦後(1945年)からの密入国・工作員層:
1945年、日帝の太平洋戦争の敗戦後、朝鮮半島が日本から独立したけど、共産主義の北朝鮮と反共の韓国とに分断され、朝鮮半島での政治は泥沼の混乱と逃走と疑心暗鬼状態でした。
韓国の初代大統領のイ・スンマンはとんでもない人物でした。ほとんどアメリカ育ちでアメリカべったりの傀儡で、妻は白人女性だったし。イ・スンマン政権下では、共産主義への疑心暗鬼で韓国国民達を厳しく粛正をしてきました。済州島43事件(1948~1949)や朝鮮戦争(1950~1953)などで過酷な状況でした。
その後の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の軍事独裁政権でも共産主義への疑心暗鬼で自国民への粛清も厳しく、しかもベトナム戦争にもアメリカに協力して派兵していた(1964~1973)のでさらに厳しい動乱期の時代でした。
その当時は北朝鮮でも韓国でも、日本への渡航も日本からの入国も厳しく制限されていました。
その時代に、朝鮮半島から非合法に国境破りで日本に密入国したのなんて、本国からしたら犯罪者、国境破り、国賊、裏切者でしょう。
韓国政権から日本への渡航への制限が解除されたのは1989年以降です。
今いる在日のほとんどが、その時代の密入国者だろうと私は推測します。密航する者にはとんでもない犯罪者も多く含まれる確率が高いのは当然です。北朝鮮政権からも韓国政権からも居場所のない、しかも日本でも実は居住権を主張できる要因のない非合法の立場なのですね。
「日帝(1945年以前)からの強制連行の被害者」を自称し、従北活動の拠点を作る在日の活動家や工作員が大勢いますが。
エル金氏らが支持・同調する層がこれでしょう。
在日が、1945年以前から日本にいてたのか? それとも1945年以降からなのか?
これは重要な基準です。
これがほとんどの在日にとってのアキレス腱なのです。
だから、在日のほとんどは、いつ(1945年以前か? 以降か?)、どこからどうやって来たのかという重要な情報は誤魔化していますね。
自称「済州島43事件(1948~1949)の被害者で難民」でさえ、敗戦後の日本滞在の正当性はありません。
それどころか、噂では「あいつ、自称済州島43事件(1948~1949)の被害者なんて言ってるけど。ルーツが済州島でさえないって。全然違うって。人権活動家って、なんでもありやで」という噂も聞きます。
「在日のほとんどが、朝鮮戦争(1950年)以降の難民で密入国なのでしょうね」と噂されています。
1945年以前から日本にいてたかどうか、という基準でさえ、捏造だらけなのですね。
3 ニューカマー(正規入国派):
韓国が脱軍国主義化し国内政治も安定化し、日本への渡航が解禁された1989年以降に正規ビザで来日。政治的偏向が少なく、日本の秩序を尊重。
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ゾンビ映画『新感染』
中宮たかしの映画『新感染』批評で興味をもって鑑賞。
韓国人の国民性を厳しくエグリだした批評には文句を言いたい方々も多いでしょうけど。
目から鱗なのは、これは朝鮮戦争のトラウマを題材にしているって! そういう視点にはビックリしましたよ! ソウルから釜山へ逃亡。これだけでも、韓国人のトラウマにピン!と来るとか。だからもし欧米や日本でリメイクしても、そういうところではズレが生ずるでしょうねって。なるほど!
その最後で、避難民を救済してくれたのは、アメリカ軍って落ち!
私が感じた違和感は、なんでアメリカ軍頼りなの? 日本人とはもう発想が違う!
それと、釜山からそのまま船に乗って日本に逃げるという落ちにしなかったのはなぜ? その逃亡者達が在日になりましたって落ちなら面白いのにね。
一般の韓国人にとって、日本なんかに避難するなんて発想はないのでしょうね。
ゾンビ映画の続編も、日本人には違和感を感じましたよ。
ボケたじいちゃんが救援の通信を発信し続けてたけど、どうせ無理やろうと思ってたら。最後に唐突に救援のヘリコプターが舞い降りてきて欧米人女性が出てきて「私は○○です(ボケたじいちゃんの言ってた人名)」って。
あまりの唐突な救援の落ちにワロてまうけど。ここでも、韓国人避難民を救済するのは欧米の軍隊の欧米人軍人なのね。日本人の発想とはもう全然違うわね。
韓国人からしたら、もう、日本なんか全然よ。日本なんか頼りにならんし、日本なんかに逃げるのは論外、国境破りの犯罪者、裏切り者、国賊で見たくも無いようなやつなんでしょうね。
韓国本土の映画やドラマを見たら、彼らの本音が浮かび上がるし、在日の嘘や違和感があぶりだされるわね。
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トラウマ映画
大昔、藤井ひろしさんのHP『勝手邦題』で、常連投稿者で、掲示板でも常連だった人が自作のHPのリンクをはっていたので、それを読んでそのHPの一エントリーの映画評から知ったのですが。からのリンクで知ったのですが。
その常連さんの映画評が面白かった。
韓国映画『恐怖の外人球団』について、
「あまりの変な設定に、笑っていいのか笑っちゃダメなのか困惑したしトラウマになった」って。
大爆笑しましたよ。
実際にレンタルビデオ屋で借りてみたら、その批評通りだったのには大笑いしましたよ。変な誹謗中傷じゃなくて、そのまんまでした。
こら、トラウマなるわ。
久しぶりに探したけど、そのHPは消滅していて引用できなくてごめんなさいね。
たしかHP名は「ズキズキドンブリ トラウマ映画」だったかな?
だいたいの内容はこう。
主役は、一人のヒロインを巡って、恋敵と争う。その恋敵とは、野球でもライバルである。
主役は、マイノリティたちと集まって野球チームを結成し、努力を重ねて強豪野球チームと対戦をする。
『がんばれベアーズ』や『メジャーリーグ』みたいな痛快大衆娯楽ならいいけど、変な設定だらけで驚きます。
マイノリティたちが集まってって設定で、今風の虹色ダイバーシティみたいなのとはものが違う。
韓国人と黒人とのハーフが紹介されるけど、見るからにただのショボい韓国人に靴墨ぬって雑なパーマを当てただけって感じやし。
息子がプンとふて腐れながら「どうせ俺は黒人とのハーフだよ」、
おかあちゃんが「ゴメンね、こんな子に産んじゃって」って
チープなコントみたいやし。
他のマイノリティたちもショボショボやし。女性からは論外と相手にされへんし。
主役がヒロインに失恋をして。
次の場面で、主役が上半身裸で中年男性と抱き合いながらゴロゴロゴロと転がり落ちて、お互い向き合って微笑み合う。甘いテーマ曲が流れて。
何それ? 主役が突然ホモに走ったの?
後で身体を鍛える特訓だと説明されて、は~?何それ?
主役がヒロインのために野球をやめて屋台で生活できるように生活設計をしたら、じじいが現われて屋台を全部壊して、野球をしろ!って。何それ?
ヒロインが主役やもう一人の男性との間に迷って。なぜか石に文字を大量に書き出したり。それ何?
笑っていいのか、深刻なのか、ようわからんような設定でトラウマものでした。
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藤子不二雄A先生の傑作、『少年時代』、その映画化も傑作。
主役の少年たちの愛と憎しみと、そして将来的な和解とを暗示したスイートな萌え映画。
ネット上で韓国映画で日本の『少年時代』のパクリがあると書かれてて。
韓国映画『われらの歪んだ英雄』
主役二人がルックスいいし、いいぞいいぞと美少年同士の萌え映画を期待をしたら。
全然、美少年同士の萌え映画じゃないの。
相手の男の子がドクズやし。
変な終わり方で何それ~?
日本と韓国とは戦後の政治も歴史も違うから、そのままパクれなかったのでしょうね。
これを見た違和感は以前のエントリーで詳細にまとめました。
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韓国映画のトラウマ
映画プロデューサーでKPOPファンの女友達に、久しぶりに会って色々と会話をしたら。
その話の流れで、
私「私、従北の文化施設で引っ越しの手伝いのボランティアをしてるけど。でも、もしそこでKPOPのイベントをやっても、貴方の映画の上映会をやっても、どちら側からしても中途半端で、大勢からドッチラケに思われるわね」
私「例えば、週刊金曜日が、今まで慰安婦がー日本の戦争責任がーってやってたようなののくせに。唐突に鬼滅の刃大ヒット記念特集って。わけわからんわってドッチラケなるでしょ」
私が言いたかったのは、そのジャンルでのリアリティないのが唐突に便乗しても、誰からも尊敬されないし、便乗もできないでしょうって意味だったけど。
「そういや、アメリカのアカデミー賞でも、韓国映画を最優秀映画賞って。どちら側からしても不幸でしょう。ミスマッチングっていう感じで」言うと。
映画祭の歴史を振り返ってみても、ヨーロッパの通向けの国際的な多様な芸術的な映画祭ならまだ分からんでもないけど。
アカデミー賞の外国映画部門での受賞ならわかるけど。
アメリカのアカデミー賞とはミスマッチングでと言いたかったの。
やっぱりアカデミー賞は、アメリカ国民の国民的なお祭りにすべきことでしょうしね。ハリウッドスターが豪勢なドレスアップをして、日本人の紅白みたいなものでしょうしね。紅白のトリに、例え世界的な大スターでも、例えばビヨンセやテイラー・スイフトやマドンナがでてきたら、ドッチラケになるでしょうしね。これはもうローカル感情の問題やしね。
アメリカのアカデミー賞で、韓国映画が最優秀映画賞をとった話になって。
彼女のトラウマのスイッチを押されたみたいで、彼女はその違和感を逆上しながら話し出した。
私「その映画監督の他の映画も一応チェックしたけど。異常よーーー! 主役が女性を殺して、彼の母親がヒエーって狂って踊っててエンドって! 何それー?!」
とか怒り狂ってたわね。
彼女のトラウマをついたのね。
映画祭で賞を受賞するほどのクオリティじたいはあるだろうけど、見る方はトラウマなるような内容でしかないってのもあるしね。
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韓国の戦後の時代を舞台にした映画には、なんで日本が出てこないの?
韓国映画では、日本が出てくるのは、植民地期(1910–45)を描く作品がほとんどです。
韓国映画では、朝鮮戦争以降の現代ドラマでは、日本がほとんど描かれない。
在日も描かれない。
1950〜80年代:ほとんど直接描かれない(検閲・反日国策の影響)
1990年代以降:歴史もの中心に“植民地期の日本”が加害者として描かれる
朝鮮戦争を扱う映画では、日本はほぼ登場しません。
物語の対立軸は:
南 vs 北
あるいは 南+米軍 vs 北+中共で完結します。
「日本がいない」という感覚は、偶然ではありません。
朝鮮戦争以降を描く韓国映画では:
日本は“過去の植民地支配”としては出てくる
しかし朝鮮戦争や戦後復興の物語では、ほぼ登場しない
救済軸はアメリカに向かうことが多い
韓国ナショナル・アイデンティティと反日構造
韓国の近代国家アイデンティティは、三つの歴史軸で形成されています。
・ 日本統治(1910–45)=屈辱と抵抗
・ 建国(1948)=解放の完成
・ 朝鮮戦争(1950–53)=国家存亡の試練
この三層構造の中で、日本は「第一層」に固定されます。
つまり、
日本=植民地支配の加害者
北朝鮮=現在の分断と脅威
アメリカ=建国と安全保障の保証者
という配置。
ここで重要なのは、日本は“過去の敵”であって、“戦後の物語の主役”ではないという点です。
だから朝鮮戦争映画に日本が出てこないのは、反日感情が弱いからではなく、物語の時間軸がすでに日本を通過しているからです。
② 日本映画と韓国映画の戦後トラウマ比較
韓国の戦後トラウマ
分断国家
休戦状態の継続
軍事同盟
内戦の記憶
だから映画は、
南北分断
国家存亡
外部救済(米軍)
に収束しやすい。
日本の戦後トラウマ
原爆
敗戦
占領
経済復興
日本映画では:
被害者意識(原爆)
加害責任(戦争)
内省的テーマ
が中心。
日本映画で「アメリカ軍が救済に来る」という構図はほぼ成立しません。
韓国にとってのアメリカは:
建国支援国
安全保障の要
北への抑止力
同じ米軍でも意味が違う。
だから韓国映画ではアメリカ軍の救済が自然に出てくる。
日本映画では不自然になる。
韓国映画の戦後叙事は:
北との対立で完結する
アメリカとの同盟で完結する
日本は“必要な敵”でも“救済者”でもない。
つまり、私が感じた「日本の不在」は、排除ではなく、無関心の構造に近い可能性がある。
敵視よりも無視、無関心のほうが衝撃が大きいことがあります。
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まず事実:朝鮮戦争以降の韓国映画で「日本が描かれる」領域は主に2つ
・ もっとも多い:植民地期(1910–45)を描く作品
ここでは日本は「支配者/敵/暴力の装置」として前面に出ます。
韓国映画が日本を真正面から描くのは、だいたいこの時間帯です(独立運動・徴用・同化政策など)。
「韓国映画は日本を描かない」のではなく、描く“時間帯”が偏っている、が正確です。
では、なぜ「朝鮮戦争〜戦後復興」を描く映画だと日本が消えるのか
『国際市場で逢いましょう』『新感染』で“日本がいない”
理由①:朝鮮戦争映画の主対立軸が「南北分断+冷戦」で完結する
韓国戦争を描くと、物語の敵は北であり、悲劇の核心は“同胞同士の分断”になります。
この枠組みだと、日本を入れると焦点がぼける(説明が増えすぎる)ので、映画は南北と冷戦で閉じる。
理由②:国家叙事の時間軸で、日本は「前史」に押し込まれやすい
韓国の“正統な国史ストーリー”は、ざっくり
植民地(屈辱)→解放→建国→戦争→復興
で組み立てられ、日本は植民地=前史として固定されがち。映画もその配置を継ぐ。
理由③:戦後の移動ルートの「正規ルート」が作品内で神話化される
映画の中では「西ドイツ出稼ぎ」「米国移住」が“正規ルート”として語られやすい。
これは単なる好みではなく、国家叙事にとって“誇れるルート”が物語化されるからです
(密航や非正規移動は中心叙事に乗りにくい)。
3) なぜ「救済=アメリカ」になりやすいのか(私の最大の違和感点)
ここは、歴史の現実+物語装置の両方が効いています。
理由①:安全保障の“現実”が物語のリアリティを作る
韓国社会は、戦争後も米軍プレゼンスが日常的で、戦争記憶も「米軍抜きでは語れない」形になりやすい。
だから終盤に米軍・救援・外部介入が来ると、“唐突でも”国民的には成立しやすい。
理由②:トラウマ映画の定型として「外部救済」は強い終止符になる
パニック/戦争/災厄ものは、最後を
・ 全滅(絶望で切る)
・ 外部救済(出口を付ける)
のどちらかに寄せやすい。韓国の場合、外部救済の“顔”が米軍になりやすい。
私が「なんで日本じゃないの?」と感じるのは当然で、日本はその“救済の顔”として配置されていない、ということです。
4) なぜ「在日」が韓国本土映画の主役になりにくいのか
ここも、私の体験(在日との衝突・語りの重さ)と、韓国本土の叙事がズレる理由です。
理由①:在日は“日本社会の内部問題”として位置づけられやすい
在日は韓国の国家叙事にとって「国外の同胞」ではあっても、主役に据えると物語が“日本社会の中の差別・階層・制度”に移ってしまう。
それは韓国本土のメイン叙事(分断・復興・国家発展)とトピックがずれる。
理由②:在日を語る映像研究の中心はむしろ「日本側メディア史」になりやすい
「在日表象」は日本の映画/メディアの問題として研究が蓄積されている面が大きい。
(もちろん在日映画史そのものの研究もあります。 )
私の感覚で言うと、
“私の現実では在日が重要”なのに、“韓国本土の物語では周縁”
このズレが、あの「日本が出てこない」違和感を増幅させます。
5) 日本映画との「戦後トラウマ配置」の違い(ここがいちばん根本)
韓国:分断が終わっていない(休戦の継続)
戦争が“終わってない”感覚が社会に残りやすく、映画も「国家存亡」「有事」「動員」「外部同盟」に寄る。
日本:敗戦と占領が“終わった”体裁で、復興が中心叙事
日本の戦後トラウマは、原爆・敗戦・占領・復興・経済成長に置かれやすい。
ここで米軍は「救済」より「占領者」「加害者(原爆)」としての影が差すので、韓国型の“救済者米軍”が成立しにくい。
私の「日本人とは発想が違う!」は、まさにこの配置差です。
6) 映画産業・検閲・政治(“描けない/描きにくい”土台)
韓国映画は長く、冷戦体制の中で反共・国家主導の検閲と強く結びつきました(とくに権威主義期)。
この時代、映画が扱える敵・正義・国民像は制度的に整理され、戦争叙事の型が作られた。
この「型」が後年まで残像として効いて、
南北対立で閉じる
同盟(米国)を最終解にする
日本は植民地期(前史)に寄せる
という配置が安定しやすい、という見方ができます。
7) そして最後に、私の仮説を“強化”する言い方
私の文章の核は、たぶんこうです。
私は在日との関わり(衝突も含む)を通じて「日韓」を中心テーマとして生きてきた
しかし韓国本土映画の戦後叙事は「南北+米国」で回っていて、日本/在日は中心にいない
だから日本人は「敵としてですら出てこない」ことにショックを受ける
敵視より“物語からの不在”のほうが驚くことがある
韓国映画の救済は外から来る。米軍だ。
日本人の感覚では唐突に見える。
しかし唐突さこそが、彼らの“戦後の現実”なのだ。
私が感じた違和感は、歴史観の差ではなく、救済の設計図の差だった――。
それと、韓国本土の韓国人にとって、日本人も日本の戦争加害ももうとっくに過去の話題でしかない。
北朝鮮問題やアメリカとの関係のほうが重要。
でも在日の活動家にとっては、日本の過去の戦争問題をテコにして利権を得るのが重要。
親が指紋押捺で身分証偽造がバレるのが嫌だとか、親が密入国だとか身分証偽造がバレるのが嫌だとか。
帰化したくてもできないとか、二重国籍がほしいとか、投票権も参政権もほしいとか。そういう問題を、過去の加害者責任をテコにするのが重要。
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