東京地裁(餅田庄平裁判官)から私への判決「プライバシー侵害」に異議を唱え、控訴審へとすすんだ体験談

 

 

はじめに

 

私はヘイトスピーチ反対活動に関わっていました。その活動の中心にいた人たちが、一人の参加者(以下「M氏」)を呼び出してリンチ事件を起こし、さらに他の活動家たちが被害者側への「セカンドリンチ」(ネット上での二次的な攻撃)を行いました。

私はその記録をホームページに残しました。被害者を孤立させてはいけないと思ったからです。

ところが2024年、そのホームページに記録されていた一人(以下「原告」)から裁判を起こされました。東京地裁の一審では私が負け、原告については私人認定で私の記載には社会的な公益性が無いと判断され、「プライバシーを侵害した」「名誉毀損をした」として賠償金約20万円と裁判費用の一部負担支払いとHPの一部削除を命じられました。

 

私は控訴し(控訴審では私が「控訴人」、一審での原告が「被控訴人」という立場になります)ました。

苦渋の判断の末に最終的には和解を選択し、被控訴人側も同意しました。

賠償金なし、HPの「人物図鑑」では被控訴人(一審では原告)のSNSアカウント名の上にマスキング処理をするなどの条件付きでホームページの現状維持、被控訴人の個人情報を特定させないように配慮した上での裁判体験記を書く権利、という結果を得ました。

 

今回の論点整理

 

東京地裁一審判決(餅田庄平裁判官)には、不当だと感じた点が大きく3つありました。

 

・ プライバシー侵害の認定
・ 名誉毀損の認定
・ 原告についての「私人」認定で、私の記載には社会的な公益性などないとの判定

 

今回の報告文では、このうちプライバシー侵害認定の部分が特に違和感を感じた件に論点を絞ります。

 

一審は、書類による反論だけで審理が進みました。その結果として、東京地裁(餅田庄平裁判官)から下された判決に違和感を感じたため、控訴審では被控訴人(一審原告)についての証拠として、大量の印刷物を提出することにしました。

 

これらの証拠は、プライバシー侵害の論点一つに限らず、あらゆる論点をカバーするために提出したものです。

具体的には、以下のような点を示すためでした。

 

・ 被控訴人についての記載は非公開情報ではなく、もともと公開されていた情報であったこと


・ 被控訴人は「私人」とは言えないこと(問題となった写真は公的な活動の記録であったこと)


・ 被控訴人が、リンチ事件発覚後も、リンチ事件の主犯格のEK氏との懇意な関係を示す投稿を行っていたこと

 

このうち、今回の報告文で扱うプライバシー侵害の論点に関わる証拠として、以下の2点をアーカイブサイトから発掘し、印刷物として提出しました。

 

・ リンチ事件後・発覚前の記念撮影:

リンチ事件後、RS氏がSNSに投稿した、被控訴人とリンチ事件主犯格のEK氏、その他複数名との集合の記念撮影投稿

 

・ 発覚後の関係継続を示す投稿:リンチ事件発覚後も、Twitter上で被控訴人がEKとの懇意な関係を示していた投稿


問題になった写真とは何か——時系列で整理する

 

2014年:すべての発端「リンチ事件の発生と隠蔽」

 

2014年12月、

大阪を舞台に、のちの勢力図を大きく揺るがす大事件が発生します。「反ヘイトスピーチ」運動の中心的活動家たち5人(RS氏、EK氏、B氏、ID氏、ME氏)が、同じ活動に参加していた男性(当時大学院生だったM氏)を北新地のバーに呼び寄せ、凄惨なリンチを加えたのです。

当初、この事件は運動のイメージ失墜を恐れた界隈によって非公開とされ、長年にわたって闇に伏せられていました。しかし、当時から私の元には、関係者からの生々しいリーク情報が断片的に次々と届くようになっていました。

 

2016年3月 

リンチ事件被害者が警察に被害届を出し、EK氏、B氏に罰金刑の処分が下されました。リンチ事件現場にいてたその他の人物達については不起訴処分となったことについては、被害者としては不満だったそうです。このことは当時は非公開情報でした。後に被害者が鹿砦社からの出版物で告発をして一般に知られるようになりました。

 

2016年(リンチ事件発覚前):

RS氏がEK氏(リンチ事件での主犯格で直接的な加害者)、原告を含む複数名と記念撮影を行い、自らのSNSアカウントに投稿・公開しました。これはリンチ事件が世間に知られるより前のことです。原告がこの時点でリンチ事件やEK氏の罰金処分を知っていたかどうかは、私には分かりません。

 

2016年4月末:

リンチ事件が週刊紙の報道で発覚し、大規模な批判・抗議が集中しました。

 

2016年4月末以降:

この時点で原告には対処の選択肢がありました。

EK氏らとの関係を清算すること。

当該写真の削除をSNS投稿者であるRS氏に求めること。

あるいはリンチ事件の加害者やその関係者との関係の清算がこわいのなら、納得のいく説明の上で私のホームページへの削除を求めることです。

しかし原告は、そのどれも行いませんでした。

それどころか、リンチ事件発覚後もTwitter上でEK氏との懇意な関係を示す投稿を続けていました。原告はその後、自らのTwitterアカウントを消去しましたが、問題の写真を公開していたRS氏に対してEK氏との集合写真の削除要請をした形跡はなく、私のホームページへの削除要請もありませんでした。

 

2016年以降:

私がリンチ事件に関する記録をホームページへの掲載を始めました。

2016年、リンチ事件被害者は、まず自身への執拗な嫌がらせ投稿を続けていた著名な活動家NY氏(しばき隊リーダー)を提訴し、続いてリンチ事件の現場にいた直接的な加害者およびその現場にいてた仲間達5人をまとめて提訴しました。

この被告5人にはそれぞれ代理人弁護士がつきましたが、そのうちの一人が、後の2024年に私を提訴した「原告(後に被控訴人)側代理人弁護士」だったのです。過去からの因縁があるという事実を知ってもらうために、あえてここに明記しておきます。

私は一介のウォッチャーとしてこの裁判を継続的に傍聴し、その詳細な内容をSNSやブログ、そして独自のホームページ上で実直に、客観的な事実として記録していきました。

リンチ事件の裁判は2018年の一審、控訴審を経て、2019年に最高裁判所で上告が棄却され、被告5人組の内の2人EK氏、B氏に賠償責任を認める判決がようやく確定しました。B氏の賠償金は少額だったためかすぐに支払われましたが、EK氏の賠償金は高額で長年支払われませんでした。しかし翌2020年1月になってようやく、遅延利息を含めた総額が支払われ、一連の民事裁判は終結しました。

 

2023年:

RS氏のSNSアカウントがプラットフォームの運営側によって凍結されました。これにより問題のEK氏との集合写真は閲覧不能となり、私のホームページからも連動して自動的に消えました。私も原告も全く関与していない外部の出来事です。

ただし、当該SNS投稿は、リンチ事件を問題視する有志たちによってアーカイブサイトに記録として保存されており、RS氏のSNSアカウント凍結後もアーカイブサイト上では参照できる状態にありました。

 

2024年8月:

原告が突然、私を訴えてきました。これまで長期間、私に対してホームページの該当部分の削除要請も何もなかったのに、なぜ今頃になっていきなり提訴に至ったのか、違和感しか感じられませんでした。私のホームページには削除要請に応じる旨の記載があり、実際に応じてきた実績も記載しているにもかかわらず、です。

そして代理人弁護士が、過去からの因縁のあるあのリンチ事件の被告側の代理人をつとめた活動家弁護士だったことにも、違和感しか感じられませんでした。

 

「人物図鑑」への記載と一審判決の内容

 

私はホームページ上に、リンチ事件の加害者側を擁護したり、加害者らとの懇意な関係を維持し続けたりしていた活動家たちを、「人物図鑑」としてまとめていました。

原告についてのファイルには、「リンチ事件後も、EKやRNと懇意な記念撮影を公表」という一文を記載していました。

東京地裁の一審判決では、私に対して原告への約22万円の賠償金支払い命令、訴訟費用の負担、そしてホームページの指定箇所の削除命令が下されました。その理由の一つとされたのが、上記の一文に対する「プライバシー侵害」の認定であり、判決文には「画像については既にみることができない状態になっている(認定事実(2))ことを踏まえると、一般の人々には未だ知られていない事柄であると認められる」と書かれていました。

そして削除命令の対象には、私が書いたその一文「リンチ事件後も、EKやRNと懇意な記念撮影を公表」そのものも含まれていました。

 

原告第1準備書面に書かれていた「仮に」という記述

 

原告第1準備書面には、注目すべき記述がありました。

原告は同準備書面において、まず「原告が、RS、ID、EK、その他リンチ事件と交友関係がある」との事実はない、と明確に否定しました。その上で、「仮に彼らの一部と一緒に写った写真等があったとしても、8年以上前の出来事であって、現在これを知る者はいない。したがって、原告が仮にRSらとなんらかの接触があったとしても、社会に広く知られた事項ではない」とも述べています。

交友関係の事実自体は明確に否定しながら、写真の存在については「仮に……あったとしても」という条件付きの書き方にとどめているのです。事実として存在しないと主張するのであれば、写真についても同様に明確に否定すればよいはずですが、そうはなっていません。この書きぶりは、被告側(私)から当該写真が証拠として提出された場合の影響を、原告側が意識していたことを示唆しています。

実際に私は控訴審において、アーカイブサイトに記録として存続していた当該SNS投稿を印刷して証拠として提出しました。

本来であれば、他人の過去の記録をあえて掘り起こすことは私の本意ではありませんでした。しかし裁判で訴えられた以上、事実を示す証拠を提出するほかありませんでした。原告側も原告側弁護士も、このアーカイブサイトの証拠写真の存在を意識していたはずです。

 

東京地裁一審判決の餅田庄平裁判官の判断のどこがおかしかったか

 

おかしな点その一:写真の性質と時系列を無視した認定

 

裁判所は問題の情報を「原告がEKらと写真を撮った事実」と定義しました。しかしこの写真は、リンチ事件の発生後、それが世間に発覚する前に撮影された、被写体全員が同意した上での記念撮影です。その写真を投稿・公開したのは第三者のSNSアカウントであり、私はその公開情報をホームページに引用しました。

「写真を撮った」という言い方によって、「誰が同意して参加したか」「誰が公開したか」「それがいつのことか」という重要な事実がすべて曖昧にされています。

 

おかしな点その二:「公開したくなかったはず」という認定

 

裁判所は「公開を欲しないであろうと認められる」と言いました。

しかし写真を公開したのは第三者のSNSアカウントです。もし公開が問題であれば、原告がすべき行動はその投稿者に削除を求めることでした。しかしそれをした形跡がありません。発覚後に自らのTwitterアカウントを消去するという迂回的な行動はとりながら、問題の写真を公開していたアカウントへの削除要請はしていない。この行動は「公開を欲しない」という主張と整合しません。

 

おかしな点その三(最大の問題):画像が消えた理由と、それでも残ったアーカイブ

 

裁判所は「画像については既にみることができない状態になっている……ことを踏まえると、一般の人々には未だ知られていない事柄であると認められる」と言いました。

しかし画像が見られなくなったのは、2023年にRS氏のSNSアカウントが運営によって凍結されたからです。私も原告も全く関与していない外部の出来事です。

しかも、当該投稿はアーカイブサイトに記録として存続していました。「画像がみることができない状態」であっても、アーカイブ上では記録が残っていたのです。リンチ事件発覚後はネット上で大きな反響が起こり、有志たちがリンチ事件加害者やその擁護者による問題発言、加害者と著名人との記念撮影などを次々とアーカイブサイトに記録・保存していきました。そのため、仮に私のホームページがなくても、有志たちによってデジタルアーカイブとして記録が保存されている状態でした。

私が写真を引用した当時、その写真は誰でも見られる状態で公開されていました。私の行為が違法かどうかは、私が行動した時点の状況で判断されるべきです。

 

おかしな点その四:「公表する理由はない」という根拠なき断言

 

裁判所は「被告が本件公表事実を公表することとリンチ事件の被害者の救済との関連性は不明といわざるを得ない」と言いましたが、なぜ関連性が不明なのかの説明が判決文に一切ありません。

「しばき隊」周辺の活動においては、彼らに批判的な特定の個人などに対し、徒党を組んでSNS上などで一斉に精神的圧力をかける手法が常態化していました。

代表的な例として2015年4月、ある参加者が被害者を挑発し、加害者のひとりを応援する目的でX(旧Twitter)上に「#EKは友達」というハッシュタグを投稿しました。これを他の関係者が一斉に同調する投稿と拡散(リツイート)したことで、被害者男性への深刻な二次加害が発生しました。後に鹿砦社の出版物において、被害者がどれほど深く傷ついたかが述べられています。

 

被害者の録音データには、加害者とされたEK氏が集団の圧力を背景に、「カウンターの全員、1,000人、2,000人おる全員がお前の味方をしてくれると思うか? 京都朝鮮学校の弁護団がお前の味方になってもらえると思うか?」といった、威圧的な発言を浴びせる様子も記録されており、後に一般にも紹介されました。

 

このような「威圧的な連帯」や「仲間内での結束アピール」を誇示して暴力事件の被害者男性や批判者を孤立させる行為が、当時横行していました。さらには個人情報の暴露や職場・家族への圧力といった、暴力に近い手口も見られました。自身も攻撃を受けてきた私は、こうした行為を到底他人事とは思えませんでした。

事件関係者の行動や交友、そして投稿などを客観的に記録することは社会的に必要であると考え、私は拙いながらも「人物図鑑」という形で記録をまとめ始めました。

 

掲載の主な基準は以下の3点です。

・ 被害者男性への二次加害への加担
・ 加害者側との懇意・親密アピールの有無
・ 社会的影響力の大きさ

 

なお、掲載内容はあくまで対象者やその関係者らが自ら公開設定で投稿していたSNS内容の引用であり、非公開の私生活についての情報を暴露した事実は一切ありません。

 

おかしな点その五:同じ判決の中の矛盾

 

賠償額を決める部分で裁判所自身が「プライバシー権侵害については写真撮影を行ったという事実を公表したにとどまり、交友関係の具体的な内容までは明らかとはいい難い」と述べています。公表した内容が限定的だと自ら認めながら、プライバシー侵害の重みを「相応にある」と言う。同じ判決の中での矛盾です。

 

この訴訟そのものの不思議な点

 

不思議な点その一:記録開始から8年以上後の突然の提訴

私がリンチ事件に関する記録をホームページへの掲載を始めたのは、リンチ事件が発覚した2016年以降のことです。つまり原告は、私が記録を始めてから8年以上が経った2024年になって、初めて訴訟を起こしてきたことになります。

その8年以上の間、原告から私への連絡は一切ありませんでした。削除要請も、抗議も、問い合わせも何もありませんでした。私は、真摯な削除要請があれば対応する意思を持っていました。8年以上もの間、何の連絡もないまま突然裁判を起こすというのは、真に問題の解決を求めた行動とは私には思えません。

 

不思議な点その二:「荒唐無稽なデマ」なら、なぜ8年間動かなかったのか

原告は裁判の中で、私のホームページの内容を「荒唐無稽なデマというべき内容」と主張しました。しかし「荒唐無稽なデマ」であれば、記録が始まった時点で直ちに削除要請をするのが自然な行動のはずです。8年以上にわたって何もしなかったことは「デマ」という主張と整合しません。

 

不思議な点その三:発覚後も関係を清算しなかった

リンチ事件が発覚して大きな批判が起きた後も、原告はEKとの関係を清算しませんでした。それどころか、懇意な関係を維持し、それをアピールする投稿をSNS(当時はTwitter、現在はX)上に行いました。これは控訴審においてアーカイブサイトから発掘された証拠として提出されました。

私としては他人の過去を掘り起こすことは本意ではありませんでした。しかし裁判で「交友関係の公開でプライバシーが侵害された」と訴えられた以上、事実を示す証拠を提出するほかありませんでした。

発覚後も懇意な関係を維持しアピールし続け、写真を公開した投稿者への削除要請もせず、8年以上私への連絡もなく突然裁判を起こすという一連の行動は、整合的な説明が難しいものです。

 

不思議な点その四:被控訴人側弁護士の立場

本件訴訟では、原告とEK氏らとの交友関係を示す写真の公表の事実についての文字記録が「名誉毀損」「プライバシー侵害」だという主張がなされました。しかし原告の代理人弁護士自身が、同種の写真をSNSで公開し続けているのです。

2016年、被害者のM氏は、リンチ事件の現場にいた加害者および同調者ら5人をまとめて提訴しました。この被告5人にはそれぞれ代理人弁護士がつきましたが、そのうちの一人が、後の2024年に私を提訴した「原告(後に被控訴人)側代理人弁護士」だったのです。過去からの因縁があるという事実を知ってもらうために、あえてここに明記しておきます。

原告側の代理人弁護士は、リンチ事件の民事訴訟において被告側5人組の内の一部の弁護人を務めた人物です。さらに、この弁護士は2018年のリンチ事件裁判の一審判決後に、自らのSNSで、EK氏を含む被告側との飲食店での記念撮影を投稿し、現在もその投稿を公開し続けながら、今も意気軒昂に活発に活動しています。

 

不思議な点その五:RS氏は今も活躍している

原告は「就職活動や交友関係に支障が生ずる状態となっており、被害は甚大」と主張しました。しかしEK氏らとの記念撮影を投稿したRS氏自身が、現在も各地での講演など活発に活動しています。一審判決自身も「社会的評価が低下した程度は自ずと限界がある」と述べており、「被害が甚大」という主張は現実と乖離しています。

 

まとめ

 

この裁判で私が最も納得できないのは、写真の性質や時系列、そして画像が消えた経緯といった客観的な事実を無視したまま、「プライバシー侵害」という認定が下されたという点です。撮影されたのがリンチ事件発覚前であること、公開したのは第三者のSNSアカウントであること、画像が閲覧不能になったのはプラットフォーム運営による凍結という外部要因であったこと——これらの事実が判決文では十分に検討されないまま、結論だけが導かれています。一審が書面のやり取りだけで進んだことも、こうした事実の検討不足につながったのではないかと感じています。

 

そして原告第1準備書面において、交友関係の事実は明確に否定しながら写真の存在については条件付きの書き方にとどめていたことは、アーカイブ上に記録が存続していた写真が証拠として提出される事態を原告側が意識していたことを示唆しています。実際に私は控訴審においてアーカイブの印刷物を証拠として提出しました。

本来であれば、他人の過去の記録をあえて掘り起こすことは私の本意ではありませんでした。しかし訴えられた以上、事実を示すほかありませんでした。

 

控訴審での結果


控訴理由書をめぐる顛末

控訴にあたって、私は一審の不当判決に対する反論文を懇切丁寧に長文で書きました。何度も何度も有料のAIに校正を依頼し、文章を練り上げてから弁護士に提出しました。

ところが、弁護士が実際に作成した「控訴理由書」はあまりにも簡潔なもので、正直、腰が抜けそうになりました。

「そんなに簡潔で大丈夫でしょうか」と不安になってメールで尋ねたところ、弁護士からは「プロを信頼してください。裁判官は超多忙で、長文は疲れます。簡潔なのが喜ばれます」との返答がありました。

結局、プロの有能な弁護士を信頼してお任せすることにしました。結果としては、それでよかったのかもしれません。ド素人はどうしても不安になって、懇切丁寧に書き込まないといけないとついつい思い込んでしまうものだと感じています。

 

和解という結果

 

控訴審では和解という形で解決しました。提示された和解案は、控訴人である私側の意見を相応に取り入れた内容でした。

それでも私が和解に応じたのは、東京地裁のあの判決を目の当たりにしたことで、司法そのものへの不信感が拭えなかったからです。控訴審で最終的にどのような判決が下されるかは分かりません。異常な判決が下される危険を冒すよりは、安全な選択肢として和解に応じることにしました。

結果として、賠償金はなし、条件付きでホームページを維持する権利を得ました。また、被控訴人(一審原告)の個人情報が特定されないよう配慮した上で、この裁判体験記を書く権利も得ています。

 

最後に

 

私がホームページを作ったのは、リンチ事件の被害者が孤立しないよう、何が起きたかを記録するためでした。リンチ事件被害者に対して、集団で徒党を組んで圧力をかける手法が横行していた以上、その集団について記録を残すことは重要だと思ったからです。

私自身、ヘイトスピーチ反対活動に関わってから、その中心的な活動家に目をつけられ、徒党を組んでの嫌がらせを受け続けてきました。私のフォロワーたちに対して「フォロー解除をしないと怖い目にあわすぞ」という趣旨の脅迫的な圧力がかけられたこともあり、私にとって他人事とは思えませんでした。

社会的な影響力を持つ人物について、公開投稿を時系列順に並べただけです。

 

その記録をめぐる裁判は、判決の論理においても訴訟の経緯においても、多くの疑問を残すものでした。

この記録が、同様の状況に置かれた方や、表現の自由と名誉・プライバシーのバランスに関心を持つ方にとって、何らかの参考になれば幸いです。