【裁判体験記】提出されなかった「控訴審用釈明文」の公開にあたって
2024年8月に訴状が届いて始まった裁判は、2026年5月、控訴審(東京高裁)の場において和解という形でようやく決着を迎えました。
一審(東京地裁)の判決は到底承服できる内容ではなく、私は高裁へ控訴。その後、裁判官から提示された和解案に対し、私は何度も修正を求めました。
高裁がこちらの希望をかなり汲み取ってくれたこと、そして現在の司法に対する不信感から「判決でまたとんでもない前例(判例)を残される恐怖」があったため、最終的には被控訴人(原告)側も同意し、和解が成立しました。
この和解において、私は「過去の『反ヘイトスピーチ』活動家らによるリンチ事件からの因縁を交え、批判的な裁判体験記を執筆・公開する権利」を確保しました。
ただし、原告側代理人弁護士からの強い希望により「実名は出さない」こと、また原告個人を特定できる情報や誹謗中傷は掲載しないことが条件となったため、本稿では特定につながる部分を省略・修正しています。
一方で、私のホームページにある「人物図鑑」については、原告のSNSアカウント名をマスキングする等の妥協はしたものの、それ以外はほぼ現状維持の権利を勝ち取りました。
さらに、原告側は賠償金および裁判費用の請求をすべて放棄するという条件での解決となりました。
裁判が片付いた直後の2026年5月に、まずは速報版を公表しましたが、今回はその続編です。控訴審の判決を仰ごうとしていた当時の心境と、これまでの私の歩みを綴った「未提出の釈明文」を、現在の視点から修正した上で公開いたします。
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【一般公表用・修正版】控訴審提出用 釈明文
1.反ヘイトスピーチ活動に関わったきっかけ
2013年初頭、私はインターネット上で話題になっていた「在日特権を許さない市民の会(通称:在特会)」をはじめとする、いわゆる「行動する保守」系の右派グループによる活動に関心を持ちました。特に、大阪のJR鶴橋駅前で行われた街宣において、当時女子中学生だった参加者が「鶴橋大虐殺」などと過激な発言をしたことに大きな衝撃を受けました。
それ以来、私は現場にビデオカメラを持参し、長時間の無編集映像を「一次資料」として撮影・公開する活動を始めました。誰でも客観的に検証できる形で記録を残し、冷静な議論の土台をつくることが目的でした。この動画撮影活動はネット上で一定の評価を得たものの、一方で極端な「反ヘイトスピーチ活動(通称:カウンター)」の参加者たちから標的にされる結果となりました。
2.カウンターの台頭と現場での軋轢
当時、カウンター活動は東京では野間氏を中心とする「レイシストをしばき隊(通称:しばき隊)」が、大阪では在日コリアンのライターである李信恵氏が大きな影響力を持っていました。李氏は運動に関する記事をネット上に多数執筆していましたが、その内容や姿勢に対し、私は次第に違和感を抱くようになりました。
これが原因となったのか、私は李氏やその周辺の活動家たちから、ネット上や現場で執拗な攻撃を受けるようになります。穏便な解決を求めて頭を下げたこともありましたが、受け入れられることはありませんでした。
その後、私は主流派のカウンターから距離を置き、独自に現場での撮影・記録保存を続けました。
しかし、一部の過激な参加者からは「日本人が何も対処しないから、在日が危険な現場に出なくてはならなくなった。お前らが悪い」「お前は日本人だからお気楽でいい」といった批判を浴びせられました。
それでも私は、一人であっても独自の視点でヘイトスピーチに反対し続ける姿を証明したかったのです。
その後、社会的な非難や2016年の「ヘイトスピーチ対策法」成立もあり、右派グループの活動は縮小・退潮していきました。
しかし一方で、「しばき隊」をはじめとするカウンター側は、各地で複数回の逮捕者を出すほどに先鋭化し、反社会的な言動が目立つようになりました。
私は彼らに対しても度々注意を促しましたが、すべて徒労に終わりました。
むしろ私には、この「反ヘイトスピーチ活動」の身内での振る舞いの方が、遥かに差別的で醜悪に見えるようになり、私は一連の撮影と記録活動を終了することにしました。
3.「反ヘイトスピーチ」裁判と、暴力事件の発生
2014年10月、李信恵氏は「在特会」の桜井誠氏や、まとめサイト「保守速報」の管理者を相手取った損害賠償請求訴訟(通称:反ヘイトスピーチ裁判)を大阪地裁に起こしました。この裁判はメディアで大きく報じられ、彼女は運動の象徴的な存在となっていきます。
しかし、私は以前からの違和感もあり、この動きとは明確に距離を置いていました。
同じ年の12月深夜、大阪の歓楽街で行われた同裁判の打ち上げ(酒の席)において、ある暴力事件が発生します。これがいわゆる「しばき隊リンチ事件」です。李氏とその支援者複数名(金氏、凡氏、伊藤氏、松本氏ら)が、ひとりの日本人男性を飲食店に呼び出し、集団で私的制裁(暴行)を加えたというものでした。
被害者男性は、万が一に備えてその場の模様を録音していました。同時に、彼はカウンター活動全体や李氏の裁判への影響を懸念し、当初は事件を穏便に処理しようと試みました。しかし、関係者に相談しても加害者側からは誠実な対応がなされないまま、時間が過ぎていきました。
結局、被害者が警察に被害届を出し続けたことでようやく受理され、主要な加害者(金氏、凡氏)には罰金刑の刑事処分が下されました。李氏については嫌疑不十分で不起訴処分となりましたが、被害者側としては納得がいかないとのことでした。
この事件は長い間、身内の極秘情報として伏せられていましたが、私の元には関係者からのリーク情報が少しずつ届いていました。
そして2016年4月末、『週刊実話』の報道によって事件は広く公になります。
これを機に、加害者側やその支持者から被害者男性への激しい誹謗中傷と同調する投稿と拡散(リツイート)が始まりました。中でも特に酷い投稿を行った野間氏に対し、被害者男性は名誉毀損訴訟を提起し、勝訴しています。
4.リンチ事件と本件原告(被控訴人)との関係性
本件の原告もまた、そうした活動周辺にいた人物のひとりでした。事件当時は非公開だったため「知らなかった」のかもしれませんが、原告はリンチ事件の発生後、加害者側やその支持者との親密な記念写真や懇意な関係を示す発言をSNSに投稿・公開していました。
私見ですが、週刊誌報道で事件が発覚した時点で「知らなかった」と釈明するか、関係を整理していれば、これほどの混乱や負担はなかったはずです。しかし、事件発覚後も、ある弁護士がSNS上で現場にいた李氏の責任を追及していたのに対し、李氏側はそれを無視。男性加害者との親密な写真をSNSに投稿し続け、その投稿は長年維持されていました。
(※和解の趣旨に鑑み、詳細な経緯の記述は控える)
大元のリンク先であった李氏のXアカウントは2023年9月に凍結されたことにより同SNS上からは消滅し、自動的に当ホームページからも消滅しましたが、この模様は有志によっていわゆる「魚拓サイト」にて記録・保存されております。
さらに当時の原告は、
(※和解の趣旨に鑑み、詳細な経緯の記述は控える)
という状況にありました。
5.しばき隊「人物図鑑」作成の背景
「しばき隊」周辺の活動においては、彼らに批判的な特定の個人などに対し、徒党を組んでSNS上などで一斉に精神的圧力をかける手法が常態化していました。
代表的な例として2015年4月、ある参加者が被害者を挑発し、加害者のひとりを応援する目的でX(旧Twitter)上に「#エル金は友達」というハッシュタグを投稿しました。これを他の関係者が一斉に同調する投稿と拡散(リツイート)したことで、被害者男性への深刻な二次加害が発生しました。
後に鹿砦社の出版物において、被害者がどれほど深く傷ついたかが述べられています。
被害者の録音データには、加害者とされた金氏が集団の圧力を背景に、「カウンターの全員、1,000人、2,000人おる全員がお前の味方をしてくれると思うか? 京都朝鮮学校の弁護団がお前の味方になってもらえると思うか?」といった、威圧的な発言を浴びせる様子も記録されており、後に一般にも紹介されました。
このような「威圧的な連帯」や「仲間内での結束アピール」を誇示して暴力事件の被害者男性や批判者を孤立させる行為、さらには個人情報の暴露や職場・家族への圧力といった暴力に近い手口に対し、自身も攻撃を受けてきた私は、到底他人事とは思えませんでした。
事件関係者の行動や交友、そして投稿などを客観的に記録することは社会的に必要であると考え、私は拙いながらも「人物図鑑」という形で記録をまとめ始めました。掲載の
主な基準は以下の3点です。
被害者男性への二次加害への加担
加害者側との懇意・親密アピールの有無
社会的影響力の大きさ
なお、掲載内容はあくまで対象者やその関係者らが自ら公開設定で投稿していたSNS内容の引用であり、非公開の私生活についての情報を暴露した事実は一切ありません。
6.原告代理人弁護士との因縁
「しばき隊リンチ事件」において、被害者男性は現場にいた5名(李氏、金氏、凡氏、伊藤氏、松本氏)をまとめて相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。その際、被告(李氏)の代理人を務めたのが、今回私を訴えてきた原告の代理人弁護士です。私や有志は、その裁判も傍聴・記録し、第三者が検証できるように公表し続けてきました。
2018年の一審判決では被告5名のうち3名に賠償命令が下りましたが、被告側弁護士はSNSに被告らとの祝杯写真を投稿し、「リンチ事件はでっち上げ」と発信しました。その後、高裁・最高裁で判決は確定し、一つの時代を終えたと思っていましたが、問題は終わりませんでした。
2020年、リンチ事件の現場にいた一人である伊藤氏が、敵対する右派活動家から刃物で刺され、殺人未遂の被害者となったと報道され大騒ぎになりました。(※和解の趣旨に鑑み、詳細な経緯の記述は控える)。結果として、伊藤氏側にも正当防衛を超えた過剰な暴力があったとして刑事罰(有罪)が科されています。
この最高裁(2023年6月に上告棄却)まで争われた裁判で伊藤氏の代理人を務めたのも、やはり今回の原告代理人弁護士でした。
私は、彼の政治的発言やリンチ事件加害者らとの親密な交流、そして「リンチ事件はでっちあげ」という主張に対し、一貫して批判的な視点から記録を残してきました。
彼の主張は現在もネット上で対抗言論を呼び、炎上を続けています。さらに2025年になっても、そのリンチ事件否定に地方議員が賛同し続けるなど、今も影響力を維持し炎上し続けています。
したがって、今回の裁判において、相手方の代理人が同弁護士であると知ったとき、私は強い不信感を抱かざるを得ませんでした。
7.「人物図鑑」の運用と本件訴訟への疑問
私のホームページでは、掲載の削除を希望する申し出があった場合、協議のうえで応じる旨を明記しており、実際に削除に応じた実績もあります。この図鑑は社会運動の「負の側面」を記録保存するためのものであり、特定の個人を誹謗中傷する目的は一切なかったからです。
活動から退き、老親の介護に専念しようとしていた2024年8月、突然この訴訟が提起されました。代理人は私とは過去からの因縁のある弁護士でした。本件サイトは元投稿が消滅すれば自動的に埋め込みも消える運用であり、削除要請窓口も設けていたため、もし原告から真っ当な削除要請をいただければ、私は協議の上で削除に応じていたと思います。
いきなりの提訴であり、しかも長年論争してきたテーマに関わる弁護士が代理人であったため、私はこれを「表現を萎縮させるための訴訟」ではないかと受け止めざるを得ませんでした(あくまで私個人の受け止めです)。本件を通じ、私は自らの立場と信念を正面から説明する覚悟を固めました。また、私がSNSで老親介護や終活の困難を記していた時期の提訴であったため、「対話の機会なく提訴に至ったこと」への強い不安と疑念を覚えました。
過去の例として、今回の相手方代理人弁護士が別の活動家の代理人となった訴訟において、被告(表現者)が病気入院や経済的困難に直面しているタイミングで提訴され、勝訴に至ったケースを私は認知しており、私個人の感想として疑念や不安を覚えています。
(※和解の趣旨に鑑み、詳細な経緯の記述は控える)
社会的に弱い立場の表現者に対する訴訟の影響の大きさを改めて考えさせられました。
一審の過程で裁判所から和解の打診もありましたが、当初から丁寧な削除要請があれば応じ得たのに対し、いきなりの訴訟で多大な負担を負わされた後で「原告について全削除・今後の言及一切禁止」という条件を受け入れることは、到底できませんでした。
なお、裁判が最終的に収束したのちには、一般論として、弱い立場の市民の表現活動と言論の自由が萎縮しないよう、私自身の経験を整理して、同様の法的紛争に直面した市民が適正な防御権を行使するための情報共有を行いたいと考えています(個別のプライバシー侵害や名誉毀損をする意図はありません)。
一審では訴状に対して文字での反論のみに専念していましたが、控訴審に向け、原告に関する新たな公開資料についても、必要最小限の範囲で提出を検討していました(非公開の私生活の情報の蒐集・暴露は一切行いません)。
8.結びにかえて
私は、記録とは「誰かを攻撃するための道具」ではなく、社会が過ちを繰り返さないための「検証の土台」であると信じています。本ホームページの記録は、公益性を有し、真実性と検証可能性の根拠を備えています。そのため、違法性阻却が認められるべきであると考えています。
原告代理人による提訴の背景には、過去の対立や思想的な因縁が影を落としていると感じますが、私は個人攻撃ではなく、公共の記憶の保存者として行動してきました。彼らの過激な活動やそれを取り巻く問題については、2016年から2019年にかけて出版社・鹿砦社からも関連書籍のシリーズが刊行され、広く社会に周知されています。
今回の訴訟に当該弁護士が自ら関与してきたという事実そのものが、皮肉にも、私がこれまで記録してきた事象の持つ「公益性」を図らずも裏付ける結果となったと考えています。
私の行為の社会的意義と、動機の正当性をご理解いただけることを切に願います。







