済州43事件被害者の会への疑義 資料 金石範への韓国人からの批判
済州43事件の被害者や遺族にとって伝説か神話みたいな作家だけど。
彼のことを、徹底批判する朝鮮半島系がいるのね。
済州4・3平和財団が設けた「済州4・3平和賞」が第一回の受賞者として、日本の在日作家、金石範に賞を与えたことに対して、韓国人が徹底批判をしている。
北朝鮮主導での統一政府を目指すべきって主張を述べているようにしか見えないのね。
そう。「朝鮮半島の統一を目指すべきって言う言論人って、北朝鮮主導での統一政権を目指しているようにしか見えない」
そういえば、以前、韓国からのニューカマーの若い男の子のyoutuberが、「統一なんて、誰得?」「朝鮮半島が統一されたらいいって、一見、いい主張に見えるけど。リスクがでかすぎる」「僕の生きている時代では絶対、そんなの無理」「僕は、嫌だ」「社会主義者との共存なんて、できないよ」「少人数でも、強い思想での結束力のある社会主義者は、脅威だから。来ないでほしい」って。
目からウロコでしたわ。
在日や韓国人で「統一」ってキーワードを言うやつには、注意。北朝鮮系ですわ。
「こうして暴動や反乱の性格が強かった4・3事件は、「5・18光州事態」とともに、民衆抗争に書き換えられた。」
統一日報
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2015年04月08日 03:52
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大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(50)
日本で展開される韓国史の「書き換え」
朝総連組織が日本の戦後風土の中で展開してきた工作がどのように実を結んだのかを表わす「事件」が先週、朴槿惠政権下の韓国で起きた。
「済州4・3平和財団」が1日、在日作家の金石範(愼陽根)に「第1回済州4・3平和賞」を与えたのだ。
済州4・3平和財団は、金大中政権が制定した「済州4・3事件真相究明および犠牲者の名誉回復のための特別法」によって2008年に発足した公益財団だ。その公益財団が選んだのが、朝総連文藝同出身の金石範だったのだ。
統合進歩党が解散されてから100日あまり。「反大韓民国勢力」が大韓民国を攻撃した象徴的事件といえよう。
金石範は受賞式典で「大韓民国は民族反逆者が建てた国」で、「済州道民の抵抗は、内外侵攻者への防御抗争」だったと主張した。
済州4・3事件は、大韓民国の制憲国会を構成するための総選挙(1948年5月10日)を破綻に追い込むため、南朝鮮労働党が指令した暴動・反乱だ。
ところが「済州4・3事件真相究明と犠牲者の名誉回復委員会」(委員長・国務総理)は「民衆抗争」と規定し、鎮圧過程での犠牲は軍警による虐殺によるものと断定した。
「4・3暴動」が「民衆抗争」に変わる経過をみると、平壌と朝総連の執拗な歴史捏造と謀略の工作が浮かんでくる。
済州島には、植民地時代から朝鮮共産党が組織され、解放直後には済州島人民委員会が組織されていた。朴元淳・現ソウル市長が主導して作成された4・3真相報告書は、4・3事件が1947年3月1日から始まったとしている。その前月に結成されたのが南労党済州島委員会と、その前衛組織として暴力を振るった「民民戦」(朝鮮民主主義民族戦線)だった。
朴元淳は南労党党首・朴憲永の子である僧侶・圓鏡と歴史問題研究所を作り、韓国の歴史をけなしてきた。真相報告書の作成過程では暴徒による虐殺の犠牲者については調査もせず、犠牲者の中に南労党の暴徒が多数入った。それをもって韓国政府に謝罪と追悼を求めた。
こうして暴動や反乱の性格が強かった4・3事件は、「5・18光州事態」とともに、民衆抗争に書き換えられた。
「民民戦」済州島委員会の文化部長が金奉鉉だ。金奉鉉は関西大学卒の日本共産党員で、解放後に帰郷して中学校で歴史を教え、4・3暴動のときは金達三直属で済州人民解放軍済州西部地域司令官などに加担。その後日本へ逃走して大阪で朝総連幹部になった。
金奉鉉は4・3暴動に関する本を3冊書いている。同じく4・3暴動に加担し智異山パルチザン活動にも加わり、日本へ逃走した金泰奉と一緒に「済州島人民たちの4・3武装闘争史」も記している。これらの本が4・3暴動を「民衆抗争」に変える原型になる。
金石範も関西大を出て大阪を舞台に活動してきたが、彼だけでなく、内外で済州4・3事件を民衆抗争に美化する創作の根拠としたのが金奉鉉の本だ。
朝総連には、韓国を捨てて日本で金日成に忠誠を捧げ、時には無国籍を標榜しながら、自分の「恨」を小説にする者が少なくない。韓国を罵倒しつつ、日本国内に「反韓文化」を広める工作の根でもある。
朝総連文藝同の主な任務は、歴史を捏造することだ。金日成神格化はさすがに難しいため、韓国を否定することが彼らの主任務となる。日本の戦後風土は、この朝総連の「創作」を「歴史」とした。北のプロパガンダに深く影響された日本の文化人や出版界は、反李承晩、反韓国になるならフィクションでも事実化してきた。(続く)
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愚銀のブログ
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2015年10月21日 (水)
金石範さんの入国を韓国政府が拒否!
済州島四・三事件の歴史学的解明は大韓民国成立の正統性に疑義するか!?
01_2 10月、在日朝鮮人作家金石範(キムソッポム)さんの韓国訪問が妨げられた。金石範さんは済州島4・3事件をテーマにした長編『火山島』などで知られる作家だ。『火山島』は今年韓国で全巻の翻訳が出版され、ソウルで記念行事が開かれることになっていた。報道によると、金石範さんが韓国訪問を申請したところ、韓国政府が入国を拒否したとのことだ。在日韓国大使館は「旅券法に基づき審査した結果」とだけコメントした。
金さんは今年4月、済州4・3平和賞を受賞し韓国を訪問、済州島で授賞式に臨んでいる。この賞は「済州4・3平和財団」が創設したもので、韓国政府や地元自治体も関係している。李承晩による大韓民国の成立に批判的な考えを持つ金石範さんに、韓国の右翼団体や保守マスコミが授賞取り消しを求めるなどの動きがあった。在日本大韓民国民団も盛んに金石範さんを批判し〈金石範氏の受賞で汚された「済州平和賞」〉とまで言っている。こうした論調に韓国の保守的な現政権が同調したと思われる。
そもそも「済州4・3平和賞」とは、済州島4・3事件の真相究明に貢献したり、世界平和や人権伸長に寄与した人に贈られる。済州島4・3事件とは、1948年4月に済州島で起こった島民の蜂起に伴い、島民が軍や警察などに虐殺された歴史を仮にこう呼んでいる。金石範さんは事件が公にならない内から追求し解明に心血を注いできた。受賞に相応しい。
しかし問題は大韓民国成立の正統性に関わる。金石範さんは以前こんなことを書いている。
慰霊堂に祀られている一万三千余の犠牲者たちは「領民虐殺」による受難者であり、それ以外はゲリラ、アカの同調者だから殺されて当然とする島民を二分化する論理であって、これは全島民的な意思の代弁である四・三闘争の否定である。……実質的に「四・三事件」が抗拒の蜂起であり、抗争であり、民族解放闘争であることの位置付け、「歴史的定立」が必要だ。
……
解放後一九四八年八月、四・三抗争のさなかに米軍占領下で成立した大韓民国は、過去歴史清算を葬った民族反逆者、親日派による政権、政府であるのは、韓国の極右勢力も否定できるものではない。憲法「前文」の臨時政府の法統(伝統)を継承した大韓民国政府というのは牽強付会となるだろう。
しかしこの大韓民国の正統性の上に、四・三特別法も四・三委員会も成立しているのであって、この論議は“国家”の介在なしにはむつかしい。改めて大韓民国の「正統性」は何かを問われねばならぬことになるが、これはまず不可能。とすると、「正名」は統一のその日でなければできぬことになる。
学問とか真理への道はそうであってはならぬだろう。真理は普遍的であって、国家の枠とか制度の枠を超えて明らかにされねばならない。歴史家たちはこの「国家の正統性」を超えて、「正統性」を否定しかねない論議をすべきではないか。親日、民族反逆、反歴史的な「過去」を清算することによって、建国当初の大韓民国の「正統性」は弁証法的に再び新しく定立される。四・三論議はその聖域まで踏み込まねばならない。それにはやはり一方の「国家」を超越する普遍の、自由の場の早期の実現を待たねばならぬか。しかし、学問はそのタブー、聖域に挑んで踏み込むものだろう。
(「悲しみの自由の喜び」『すばる』2008年7月号)
ここで言う「正名」とは「정명 ジョンミョン」、四・三という名称は記号で曖昧だから、内容をはっきりさせる定義をしようということだ。右翼勢力は四・三事件の犠牲を「良民虐殺」と定義し、共産主義者やその同調者を排除して定義しようとしている。金石範さんのように、李承晩政権の軍・警察と手下になった暴力団によって殺されたゲリラたちすべてを犠牲者と考える立場とは対立する。
4・3事件の発端は南朝鮮単独政権樹立に反対する運動だった。即ちそもそも大韓民国建国に反対する運動だったのだ。南朝鮮労働党が指導するゲリラと米軍政、李承晩政権、右翼暴力団との闘いは熾烈を極め、双方及び無垢の島民を含め8万人もの犠牲者を出したと言われる。島民は、日本に脱出した人々においても事件について語ることは長い間禁忌とされていた。
韓国の現政権が李承晩、朴正煕、全斗煥と続いた軍事独裁政権の正統を継ぐものであれば、金石範文学は敵性文学だ。しかし、韓国は民主化された社会だ。民主主義を渇望した国民の長い民主主義運動の勝利だ。ではなぜ金石範さんの入国は拒否されたのか。
世界的な右傾化と無関係ではないだろう。日本では安倍ネトウヨ政権が特定秘密保護法や安全保障関連法を強行成立させ、全体主義国家化を進めている。排外主義が跋扈し、街頭で在日外国人やアイヌ、性的少数者、原発事故避難民などの対するヘイトスピーチが叫ばれ! 政治家は国民は国家のために働けと嘯く。そんな国粋主義的、民族主義的風潮は世界に広がっている。もちろん韓国でも右翼的民族主義運動の流れは止まらない。
金石範さんは韓国を訪れる度に紀行文を書いてきた。朝鮮籍の金石範さんにとって韓国に行く場合韓国政府当局との折衝は大変な苦労だった。しかし金大中・盧武鉉と民主政権が続くと手続きも楽になってきて、紀行文のタイトルも「敵のいない韓国行」(『すばる』2005年6月)、「自由な韓国行」(『すばる』2007年1月)となって来ていた。韓国政府による金石範入国拒否は、韓国の民主主義の危機であると同時に済州島四・三事件の歴史学的解明が暗礁に乗り上げる危機も感じさせる。
2015年10月21日 (水)
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