今頃、映画『少年時代』に萌えて
twitterで、編集者の喜多野土竜が、しばき隊系ヘイトスピーチ反対活動家界隈を批判して。
その例えとして、古い漫画の一部を例にだした。
藤子不二雄A『少年時代』で、戦争中の田舎の小学校を舞台に、横暴なワンマンだったタケシが権力の座から失墜し、クーデターの派閥から凄惨なリンチにあう場面。
その例えが絶妙で傑作。
それから、長いこと忘れていた『少年時代』を思い出して。
藤子不二雄A先生の名作『少年時代』で、権力の座から墜ちたタケシに、かつての子分や1対1では勝てない連中が、徒党を組んで制裁という名のイジメを加えられるシーンが、とても不快で、黙々と殴られるタケシが、戦後日本と重なる訳で。 pic.twitter.com/QDsDBZfTmC
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
タケシからの暴力にも屈せず、知力と政治力でクラスを糾合し暴君を打倒したケンスケや、実力ではタケシと互角だがカンジキに仕掛けを施す卑怯なタケシの手で敗れたフトシには、さほどの不快感はない。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
それより、虎の威を借る狐たちへの不快感。
もっと言えば、それを賞賛した赤い教師への反発。
ネット右翼などいないアンチ左翼だ、というのは繰り返し書いているけれど。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
彼らには体系的な思想があるわけではないし、そもそも玄洋社の頭山満以来の伝統的な右翼思想は、大アジア主義で興亜論。親韓であり親中であり、アジアの連帯を指向する。
嫌韓や嫌中のネット右翼とは相容れない。 pic.twitter.com/n5It3JeFDD
ネット右翼と勝手にレッテルを貼って、国粋主義や軍国主義の復活を目指す壮大な思想があるかのように、巨悪化するのはかえって本質を見誤る。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
中韓を利用して戦前の日本を糾弾し、「自分の国の悪に向き合える私って美しい〜ウットリ」と自己陶酔してる赤い教師たちへの、反発がその本質。 pic.twitter.com/zOzb1Elh2r
こういうのは、魔女を糾弾することで魔女狩りを逃れようという心情と同じで、結果的に魔女ではないものを魔女と糾弾し、本物の悪意ある魔女を見逃してきたのが戦後の左派。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
世襲軍事独裁国家の、拉致という国家犯罪を擁護し、中国の覇権主義を見ないフリをしてきたのが日本の左派。
そこに疑義を挟もう物なら、やれ歴史修正主義だウルトラ極右だとかレッテル貼りで誤魔化してきたわけで。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
同じ手法で、アイツらは戦勝国になりたがってる云々と、またレッテル貼り。
でも、戦勝国云々とかのポジションに異常に拘るのって、正に韓国の発想。
心理学で言う投影ってヤツだよね?
なお、『少年時代』は何も、敗戦日本のメタファーとしてだけ読める作品ではない。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
戦前の富山の寒村でも、小学生たちの間でイジメやドロドロとした権力闘争、政治があったという点では、戦前を美化しがちな右派への強烈なカウンターになってるし、柏原兵三の自伝的な原作小説『長い道』は傑作。
それは名作『はだしのゲン』も同じで、反戦平和を訴えた良書と評価することも、反天皇制の悪書と批判するのも、一面的。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
同書には反米感情も濃厚に描かれ、差別や朝鮮人の傍若無人、賭場荒らし、人骨粉を呑めばピカの毒をさけられるという流言飛語、荒くれ者達が友子を姫様と呼ぶ姿が描かれる。
優れた作品や作家は、矛盾を内包する。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
間違いなく左派に分類されるでありう手塚治虫・雁屋哲・宮崎駿の3巨匠が、代表作中の代表作である鉄腕アトム・男組・風の谷のナウシカで、特攻を肯定するクライマックスを描いたように。
少年時代も、令和の時代に読まれてほしい。https://t.co/4MM0Wnmxql
暴君を弱者たちの団結によって倒し、戦後民主主義的価値観を体現したケンスケだが、地主の彼の家はたぶん、戦後の農地改革でその財力を失う。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
そうなれば知力と意志はあるが、元々はルサンチマンを抱えた身体が弱いもやしっ子でしかない。
国鉄民営化で力を失う国労に重なる。
名作とはかくの如し。
『少年時代』のブ厚い単行本を、ずいぶん昔にたまたま病院の受付で一気読みして感動で泣きましたよ。それ以前は藤子不二雄Aなんて好みじゃなかったし才能の枯れた落ち目とバカにしてたのに、評価をひっくり返してしまいましたよ。
— のら猫の手 (@noranekonote) June 25, 2020
後に別の漫画家さんが『編集王』で藤子不二雄Aそっくりの漫画家キャラを書いててビックリしましたよ。新進気鋭の編集見習いが有名老漫画家のネームを見てつまらなさに呆れて、でも過去の作品をチェックしてみたらすごい傑作で号泣して驚いたって。私もまったく同じ思いをしましたからねw
— のら猫の手 (@noranekonote) June 25, 2020
富山出身のA先生ゆえの傑作ですね。連載中は人気がなかったそうですが。最終回の怒涛の展開と、読後の切なさ。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 26, 2020
読んでるときはわかりませんでしたが、齢をとるとタケシは軍国日本の、ケンスケは戦後民主主義の暗喩。確かにタケシは暴君で問題は多々あれど、全否定していいのか……という異議申し立て。
A先生もF先生も、イジメられっこのルサンチマンを抱えていて、特に魔太郎とか本作とか、A先生のほうがブラックな部分があるのですが。でも同時に、タケシやジャイアンの良い部分も描けるところが、両先生の優れたバランス感覚でしょうね。安易に全否定しない。しばき隊界隈の幼児的党派性との違い。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 26, 2020
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しばき隊界隈と、『少年時代』
古い『少年時代』の暗喩は、今にも通じるわね。
私は元々、RKさんの会員で。
RKさんは講演会でも、行動保守界隈、在特会を徹底批判をしてたし。
RKさんが、西村、瀬戸界隈から抗議されて、大騒動になってボロボロなってたことあったので、会員はもう完全に、行動保守界隈を敵認定してたわね。
RKさんとこを、いじめ問題で退会をして。
その後、ヘイトスピーチ反対活動に、私も少し関わってたけど。
最初は、行動保守界隈のデモ街宣をひどいと思ってて、私からしたら敵認定だったけど。
でも、ヘイトスピーチ反対活動も最初の頃は意義があったけど。
その頃からもう李信恵界隈とかがいばりかえってて。その頃からもう腐臭をはなってたけど。
ヘイトスピーチ反対活動が暴走をしてきて。
李信恵界隈から加害者認定をされてショックだったときに、慰めてくれたのが行動保守界隈で。
私以外にも、李信恵からいじめられた反差別界隈の女性が行動保守界隈の五条に泣きながら電話をかけてたとか。ヘイトスピーチ反対活動界隈には、李信恵にいじめられた者の受け皿がないのね。
ヘイトスピーチ反対活動が、外部、敵認定をしてものにたいしても、妨害活動が暴走してきたし。
内部に対しても、派閥の弱いところにリンチ事件をしたりセカンドリンチをしたり。
もう行動保守界隈が弱体化をしているし、丁寧な対処で十分なのに。いまだに遠くから離れての妨害活動しかできないし。
いくらなんでも、行動保守界隈に同情が集まるわね。
漫画『少年時代』で、横暴なタケシに対して、病弱なおぼっちゃまが反撃をし権力の座から追放をするけど。ちょうどいいところで区切りをつけて後はキチンとした公平公正平等な秩序維持につとめればいいものを。病弱なおぼっちゃまグループからのタケシへの制裁も過剰すぎて、タケシに愛憎相半ばする主役のシンイチはかえってタケシのために泣く。
やり過ぎるとかえって同情を呼ぶのね。
それと、行動保守界隈の一部には、言い分もあるし、良心的なのもいる、ということに気がつきだしてきて。再評価する部分もでてきて。
元はといえば、朝鮮総連系、反日左翼への怒りの受け皿だったしね。
仲間を大事にし、仲間から愛されてるのもいる。
行動保守界隈で、仲間を大事にし、仲間から愛されてるのもいるのでは、
関西では、スキンヘッドの山本。荒巻(バーをやってるの)。
関東では、佐藤悟志。
行動保守界隈の外様だけど、良心的なのがyurodivy(佯狂者)。
全否定したりせず、是々非々で慎重に丁寧に対処をすべき時でしょう。
一部の良心的な部分に対しての愛情を感じる方々もいるし。
そういう方々の気持ちに配慮をしながら、慎重に徐々に対処をしないといけない時期なのね。
私なんかには、魅力も交渉能力もないから、行動保守界隈とも、ヘイトスピーチ反対活動家界隈とも、交渉も調停もできんけど。
でも、もうそろそろ、行動保守界隈への凄惨な妨害活動はやめにすべきとは進言は続けるつもり。
藤子不二雄Aの漫画『少年時代』は傑作で、今の時代にも通じる普遍性を維持しているのね。
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映画『少年時代』への再評価への軌跡
リアルタイムで見てきた私にとっての評価の変遷を言うわね。
ずっと長いこと忘れてたけど、思い出して。昔、藤子不二雄の漫画『少年時代』分厚い本を病院の受付にあったので読んでみたら、最後で号泣した思い出を思い出して。
病院の受付で予備知識も何もなしに、分厚い単行本を一気に読んだときの感想。
漫画は、最初は暗い絵が気持ち悪かったし、イジメやドロドロの人間関係や暴力描写がきついし、嫌~な感じで。嫌なまま終わるのかと予想をしてたら。まさかの怒涛の展開で、感動と涙の終わりで、後味がよくて。号泣。傑作。
藤子不二雄Aなんて絵が気色悪くて、つまらなくて嫌いだったけど、こんなすごい傑作を書いてたなんて知らなかったと評価を変えて。
昔、漫画『編集王』の登場人物の漫画家の話があって。
私もこれとそっくりな思いをしたなあ~と。
過去の名声の遺産で漫画業界に居続けている漫画家で、新進気鋭の編集者見習いがそのネームを見てあまりのつまらなさにあきれかえって。ところが過去の作品をチェックしてみたら傑作で号泣して驚いたって。
このモデル、藤子不二雄Aか? 他にもたくさんモデルがいるかもしれんけど。
まず、藤子不二雄のAのほうを再評価し直して。
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藤子不二雄Aデジタルセレクションで、最初の一冊だけ無料で読めるようにしてあって、『少年時代』の第一巻が無料で読めますよ。
もしよかったら、2巻目以降、買って読んでください。
今は図書館でも、漫画を置いてあるところもあるから、よかったら探してみて。
私の地元の図書館でも、分厚い単行本が借りれましたよ。
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それから、映画化されてたのを思い出した。
リアルタイムで知ったけど、その当時はたいしたことないやろと避けてたわね。
日本映画業界の実力ではまずあの漫画のレヴェルに達するのは無理だろうなと予想してて。篠田監督って、下手な監督やん。これで絶望して。
予告編を見て。
原作にはなかった余計な女のお色気設定が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
中野みどりが映画評で
「子供を小さな大人として描写するのができない」
「日本映画は子供を描くのが下手。外国映画は子供を描くのが上手」
「演出が下手」
と酷評。
まあ、そうだろうな~と。
TVで、淀川長治、おすぎとで映画対談で。
淀川長治「私は大好き」
おすぎ「これ、いまいち」「先生、主役の男の子が好きだから甘いんでしょ」
淀川長治「きみ、ようも、そんなゲスなこと言うわね。もう口きかない」
まあ、これはね。
ゲスな邪推を言われたようで怒ってたけど。
淀川先生も、キチンとした反論と説得をできればよかったわね。
たとえば、
「主役のガキ大将のキャスティングは奇跡で本当に素晴らしくて、彼がこの映画を支えているわね」
「私にとっていくら性的魅力のある男性でも、ただ出演しているだけでは映画を認めないし褒めないよ。ただのアイドル映画みたいに、かわいいのがチャラチャラ出てるだけってのなら褒めないよ。無意味ならほめないよ。ミスキャストや映画をぶち壊しなら絶対褒めないよ。」
「確かに、演出はつたないわね。それは確かにそうね。でも今の日本のTVドラマのひどさ、日本の映画のひどさに絶望をしてきたから。これだけでも、本当に応援したいわね」
「特に1980年代以降は、日本映画が本当にろくなのがなくて絶望的で。これだけのレヴェルができたってだけでもうれしかったし応援したいわね。アニメで稼いで、しょうもない実写で見放されるわ赤字だわってのをアニメの稼ぎで補填ってのばかりだったしね。1980年代以降の日本映画で実写でいいのは数えるほどしかなかったのではないかな。しかもお年寄りから小学生まで鑑賞できてある程度のレヴェルに達しているのってなると、もうこれぐらいじゃないかしらね? 他はほとんど通向けばかりだしね」
「芸術性、政治的テーマ、商業性、大衆性、世代間格差なしに楽しめる、そいうのをギリギリ両立させられてるわね。今の日本映画界で、これだけできただけでも応援したいわね」
「日本の戦前、戦中、戦後の時代の精神を、今こうやって切り開いて見せて。それでいて観客動員、商業的成功へとつなげることができるのはなかなかないものね」
「戦前、戦中を生きてきたおじいさま、おばあさま、そして今現代の子供も、世代を超えてみんなが鑑賞できるレヴェルのができたってだけでも、うれしいし、どうしても応援したいのね」
「例えば、少年萌え、愛と憎しみとの複雑な関係をスイートに表現をして、観客の胸をキュンキュンさせて、感動させて泣かせてって。これだけできただけでも、たいしたものよ。応援したいわね」
例えば、こういうふうに分析できて、是々非々で説得できればよかったけど。ムッと怒っただけだったのは惜しかったわね。
TV放映されたのでチラッと見たけど、たまたま演出の下手な部分を見て。
小学生のデブチンが権力を握って、主役の都会からの疎開っ子を頭を押さえつけて、眼をつむりながら面白いお話をさせて聞きほれるとか。演出下手だな~とウンザリして。
なんで戦争中の食料不足のド田舎であんなデブチンがいるんだ!と腹がたったのと。演出の下手さでイラッときたのと。
それと、原作にはなかった余計な女の役が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
ところが、最近になって、ツイッターで原作漫画を褒めてるのを見て、思い出して。
それとネット検索をして、映画も思い出して。
AMAZONのDVD販売とコメントで、「同性愛、恋愛」とふれられてて。
少年同士のせつない同性愛、恋愛ネタもいいわね。大好き。そういうの大好きなのに、なぜか受け流してたわね。演出下手そうだから、原作を汚されそうでこわいと避けてたのかなあ。
同性愛、恋愛ネタも思い出して。
ネット検索で「少年時代 藤子不二雄 同性愛 恋愛」で検索をしたら、色々とヒットして。
5CHのスレで、この映画を最高に愛している方々が熱い思いを語ってるのを見て、胸をうたれて。
できるだけ、是々非々で評価をしよう。再評価とチェックをしようって。
映画の予告編も見た。
ラストシーンだけを編集とアップされてるのも見て。
これはやっぱり、胸をうつわね。
私は、腐女子だからそういうネタが大好物だし、久しぶりに燃えだしてきて、
「少年時代 藤子不二雄 同性愛 恋愛」でネット検査鵜をしたら。
色々ひっかかってきて。
藤子不二雄の熱狂的な大ファンでさえ、これはもう同性愛、恋愛だと。
5chの『少年時代」のスレが傑作で。
「この映画には、抑圧された同性愛が含まれている」って。
私もそう思う。
その解釈には反対して、「同性愛なんかじゃない!」と反論する意見もあるけど。
このスレには、映画版『少年時代』を愛する方々の熱い思いが次々につづられている。
この映画をすごく愛している方々が大勢いるのね。
もちろん、このスレには色々な意見が分かれてて。
漫画のほうを傑作と評価し、それからしたら映画化の方を低評価の方もいれば。
原作の小説を一番評価し、映画の方を低評価の方もいるし。
映画の方を最初に観て感動したけど、漫画の方は絵がホラーみたいで無理だとか。漫画のほうは重すぎて無理だとか。そうだろなあ。
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この漫画化には魅力が色々あるけど。
戦前から戦中、戦後にかけての精神史の断面が見事に切り開かれている。
戦前の前近代的な人間関係への違和感も書かれているけど、打倒ファシズムにもやり過ぎの部分があったし、それにも共感できない気持ちも書かれているし。
都会のリベラルで平等で公平で対等な人間関係を経験してきた少年にとっては、田舎の前近代的な縦型のマッチョな独裁体制には嫌なものを感じてきたけど。いい部分もあるし、愛憎半ばする複雑な感情で。でも、最後には対等な友情関係が築けるかと期待し、でもガキ大将の早すぎる死でそれもかなわなかったけど。
第二次世界大戦中の日本を舞台にしながらも、今現代の若い世代の子にも楽しめるし、お年寄り世代にも楽しめる。こういうのは本当になかなかありえないからね。
それと、この漫画の魅力の一つが、抑圧された同性愛、恋愛のもだえ。
今時の腐女子のBL漫画はもう甘ったるすぎて、もう飽きちゃったし。
ゲイの同性愛漫画も、私の好みではなくて。
ところが、『少年時代』の愛と憎しみとが交差する関係に、同性愛と性とをさりげなく追加したら、私好みのちょうどいいぐらいのBLができるはず。
田舎の貧困少年が、都会の恵まれた階級の転校生への愛と憎しみとで複雑な感情で。
抑圧された同性愛、恋愛感情。
藤子不二雄のA先生は、抑圧された同性愛の美学があるなあ。
都会からのシンイチと富山のタケシとが水泳に行って、シンイチが別の地域の対立グループにからまれたら、海からふんどし一丁でタケシがかけつけてくる場面は、ホモのエロスにあふれてるなあ。
少女読者好みのBLじゃなくて、泥臭い『さぶ』みたいな。 劇画タッチで、筋肉隆々の兄貴って感じで、小学生には見えないわね。なんか、ホモ雑誌の『さぶ』みたい。
この映画の魅力の一つは、私たち女性好みのちょうどいいぐらいのスイートな少年萌え
少年萌え、愛と憎しみとの複雑な関係をスイートに表現をして感動させて泣かせてって。
映画は、少女読者好みのBLっぽいスイートさにあふれている。
萌え~。
私はもう願望もこめて、抑圧された同性愛と解釈するけど。
でも中には、同性愛説をすごい嫌がる方々もいるのね。愛する映画を汚されたようで嫌なのかしらね?
「違う! 田舎の貧困家庭の子が、都会の裕福な子に対する愛憎だ」
「子供時代の曖昧な友情関係には、これと似たような愛憎はいくらでもある」という反論をするのがいるわね。
同性愛関係と言われるのをものすごい嫌がる方々も大勢いらっしゃるわね。
都心部に進二が行くと、対立グループにからまれたら、タケシがかけつけて助けてくれて。
写真館に行って記念撮影をして。
暗くなるまで写真館で待機してる時、進二が「タケシくんは優しいのに。なんで・・・」
タケシ「いじめるのかってか?」
そして進二を床に押し付けて「わからんのう」と涙ぐむ。
ズキューン! 腐女子直撃!
もう、このまま都会っ子をレイプしてーーーー!
小学生同士のレイプなんて載せたら完全上映禁止なるけど。
これ、やおい本で小学生同士のレイプ本なんて出したらもう今なら抗議殺到しそうだけど。
海外では厳しく禁止されてるとか(アメリカのアニメ『シンプソン一家』で、主役の男の子が下半身すっぽんぽんになってお尻が見えるシーンでさえ禁止とか! 「誰があんなのに欲情するんだ?」ってツッコミきてたな)。
でも私はほしい。私に書ける能力があれば、頭の中の妄想をいくらでも書くのになあ。私の頭の中では、タケシは都会っ子をこのままレイプしてるけどね。
私は本当は右翼のマッチョで暴力的な男の人は大の苦手だけど。
いたいけな男の子、ショボくてかわいいキモオタ君のほうが好きだけど。
いたいけな男の子が色気のあふれた強い魅力的な男の人からレイプされるという設定にズキーッ!とくるから。
「過去に強い男の人にレイプされました」というイタイケナ男の子にはポイントが上がるし、だきしめてあげる。
好きな場面は、他にもね。
都会っ子がいじめっ子たちからいじめにあったら、太めの子からかばってもらえて仲良くなって。その太めの子が読書が苦手だというから、面白い本のあらすじを教えてあげたら。
タケシらが「シンジと口をきいたやつは制裁をする!」って制裁をして。
都会っ子の家にまでタケシが来て。「フトシに面白い本の話をしたのに、俺にはできんのか! 話をしろ!」と言い出して。
都会っ子が正座のまま、恐る恐る、少しずつ確認しもってお話をしだして、その間がいいし。
「『岩窟王』でいい? いい?」
「ナポレオンの時代だけど? ナポレオンって知ってる? ナポレオンの説明しようか?」
タケシが「イチイチ俺にきくな!」「いいから話せ!」と怒鳴って。その時のタケシの凄みと貫禄と色気がすごい。
都会っ子への燃えるような独占欲の色気を発散している。
それと都会っ子のほうが色々知っているのに自分は知らないことへのコンプレックスと嫉妬もにおって。それでいて謙虚に教えをこうとか頭を下げるなんて絶対できなくて。好きな場面ね。
映画『少年時代』、華奢なシンジは正座でハラハラしながら巌窟王を語る。タケシはドスと凄みをきかせて胡座で命令。
それからシンジの語りで、映像には古い時代の娯楽小説の挿絵が次々と現れて。
あの当時の大衆娯楽のレトロにウットリするし。
あの当時は、話を語る語り部ってのが娯楽として成立し、重要だった時代なのね。
華奢でひ弱くても読書家(オタク)の男の子が重用されるのを象徴しているのも、ショボくてかわいいキモヲタ君好きの私はうれしい。
最後の方で、タケシへのクーデターで権力失墜、病弱なおぼっちゃまが過酷な制裁をするようになって。
映画の最後のラストシーンは、甘い別離のシーンで。感動。甘い甘い追憶。これにはもうメロメロなるわね。
そして場面が変わって、二人の写真が豪勢な本棚に飾られてて大きなハードカバーの本の本棚で、背表紙に「伯」という時だけ見えるのは大人用の「モンテクリスト伯」の本でしょうね。思い出の本なのねってハートがメロメロなるわね。
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それぞれのファン層、それぞれの作品の評価の違いを是々非々で。
原作小説、漫画、映画、それぞれの違いと是々非々。
昔、角川書店が映画化で「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーをしてたけど。
漫画の『少年時代』の映画化も、「読んでから観るか、観てから読むか」のキャッチコピーがピッタリね。
★ 原作の小説は、一流の文学者が実体験を元に書いたから、主人公の過酷な状況描写はリアル。いじめ、暴力描写も過酷。最後は冷めたまま終わり。感動の結末はなし。
★ 藤子不二雄の漫画の『少年時代』は、小学生でも激しい権力争い、イジメ、暴力を描写で、つらくてよう読めんって読者もいるでしょうね。児童漫画家時代のかわいいタッチと劇画タッチのドス黒い陰影ある絵とで相克があるわね。小学生のはずなのに小学生には見えない、小さな大人にしか見えない、ダークな陰影の濃い劇画タッチなのには、濃すぎて引く人もいるわね。
小説にない設定を追加してて、ケンスケ(戦後民主化の暗部の暗喩)の暴走、最後の感動ポイントを追加したのは個人的には一番好き。
★ 映画化された『少年時代』は、甘いノスタルジー。スイートなエンディング。登場する小学生たちがみんな、ほんものの子供で、かわいくてキュンキュンもだえる。ガキ大将のキャスティングが奇跡。
そっちを見てから原作の漫画のキャラクターの絵を見ると、どう見ても子供には見えない、劇画のおっさんみたい、という欠点が目立つようになるわね。
映画ではいじめ、暴力シーンをかなりマイルドにおさえてるわね。映画を見てから原作の小説や漫画を読むと暴力が過酷でつらくてよう読めないって方々もいるでしょうね。
作品としての質の高さと私の個人的な好みとで、藤子不二雄の漫画化の方がいいけど。
まずはこれを読んで感動で号泣をしてから、映画化を知ったから全然期待して無かったし、かえって原作が汚れる思って避けてたのね。
TV放映された時にチラッと見たら、演出が稚拙、余計な女の色恋ゴタゴタが追加されてると感じて避けてしまってた。
小学生のデブチンが権力を握って、主役の都会からの疎開っ子を頭を押さえつけて、眼をつむりながら面白いお話をさせて聞きほれるとか。演出下手だな~とウンザリして。
なんで戦争中の食料不足のド田舎であんなデブチンがいるんだ!と腹がたったのと。演出の下手さでイラッときたのと。
漫画では、3人の小学生の登場人物の役を、一人のデブチンにやらせたから、焦点がぼやけておかしくなったのね。これはやっぱり、3人の配役に分けてほしかったわね。
山下清みたいな優しい田舎の子。
タケシがシンイチを仲間はずれにすると決定をしたのに、シンイチと喋ったので集団リンチされて、もうシンイチとは口きかんと態度を変える子。
強面で体がガッシリとでかくて、シンイチをかばう子で、タケシともいじめっ子とも対峙できる男の子。タケシとのタイマンで負けたので配下にくだる。
でも、どうみて小学生とは見えないけどね。こんなキャスティングは探すのは難しいでしょうね。
そうだ、もう一人の役とエピソードがあったわ。
シンジが自慢のバックルを、いじめっ子ノボルに奪われるエピソード!
そのいじめっ子から、タケシがバックルをタイマンで奪い返して。それを一応表向きには強奪したように見せて、実は隠れてシンジに返してあげて。今後は表に出すなと。
つまりタケシが悪役になっていじめっ子ノボルに恨まれてしまったのね。これが後々の裏切りとクーデターと遺恨につながるという重要なエピソードなのに。
それを映画ではデブチンが卑しくもらおうとしたという風に改変をしたから、役柄と焦点とがぶれてしまってるわね。
それと、映画化では、原作の漫画にはなかった余計な女の役が追加されてて、その女がチョロチョロ男とどうだこうだ、する部分が邪魔で。いややなと。原作を汚されたようで避けてて。
作品としての質の高さでは、漫画のほうが圧倒的なのね。
でも、その後、忘れてたけど偶然なきっかけが重なって、藤子不二雄の漫画化を思い出して。
それから映画化の方への熱い思いを語る方々の意見を読んで、心が洗われて。再評価するようになってきて。
映画化されたものが、どこがどう愛されるか?
★ ガキ大将、タケシのキャスティングが奇跡で神レヴェルで
★ 実際に演じているのが小学生の子供たちで、かわいい。丸坊主で、素朴で。これ重要。実写のインパクト。
★ ラストシーンのスイートさのインパクト。実写の汽車、田舎の風景、トンネル、そして主題歌のインパクトの相乗効果は強烈。
ガキ大将、タケシのキャスティングが奇跡で神レヴェルで。
性的に魅力があって色気があるから。
これはもう破壊力がすごいから、漫画のキャラクターよりも心をうつのね。
逆に、最初に映画を見てから、藤子不二雄Aの漫画を見ると、藤子不二雄Aの漫画のほうに苦手意識を持つのが当然でてくるわね。
ダークでヘヴィーで怖いし。 いじめや暴力の描写はもっと過酷やし。
主要登場人物の小学生らが、子供には見えない。大人の雛型という違和感を感じるわな。
タケシのキャラは、劇画タッチで大人にしか見えないわな。
主役をかばう、体格のいいマサルも、劇画タッチで大人に見えるし。
他の小学生、中学生キャラも、劇画の悪役の大人にしかみえないし。
特にタケシを権力の座から追放する、病弱なおぼっちゃまでインテリ君も小学生には見えなくて、どうみても、共産党か左翼の活動家のおっさんにしか見えへんし。戦後の民主主義への移行への闇の暗喩なんだけどね。
漫画、映画を見てから、原作の小説を、図書館で借りて読んでみると。
原作の小説は、もっと過酷。
藤子不二雄Aの漫画は、この映画の小説を彼なりにかなりアレンジをして、スイートに感動ものにしているわね。
さらに映画化はさらに藤子不二雄Aの漫画をスイートにしているわね。
原作の小説には、スイートな恋愛、同性愛的な要素はもう全然なし。萌えポイント全然なし。
ガキ大将のタケシを、他の暴力男たちが権力の座から追放して。
暴力がひどくて、元ガキ大将のタケシを半殺しにして、タケシの歯はボロボロで口に銀歯をいれかえて。ひどい。主人公は、タケシの歯が銀歯になったのを見ても冷たい、ってひどい。
タケシの父親が学校に相談にきたので、教師がクラスで問題視して取り上げたので、とりあえず、他の生徒たちはタケシへの暴力制裁を少しはひかえるようになって。
タケシの権力の座からの追放の後は、群雄割拠状態で、どこにどう立ち回ったらいいのか、下の弱い子らはオロオロ状態でかえって。困ることになって。
こういう筋たてのほうがリアルね。
タケシが銀歯をした口で、主人公に話しかけて来て一緒に中学いく勉強のおさそいがあったけど、主人公は冷たかったとか。それ、ひどい。
漫画でも、映画化でも、主人公が元ガキ大将を心配して話しかけるのに、タケシは拒絶するのに。そのほうがタケシの魅力的になるのにね。小説だと、タケシは主人公からもう全然興味の対象外で哀れで惨めなのね。
主人公が後で反省をして、自分が都会から来て、田舎の秩序を乱したから、それで田舎のタケシも興奮して過剰反応をしてしまったのではないのか、って。
主人公が都会に帰ってから、タケシから手紙と写真とが送られてきたけど。
手紙には、タケシ失墜後に権力の座に君臨していたやつがクーデターおこされて全然学校に来なくなったとか。
主人公は手紙と写真を見て、冷淡なまま終わるとか。
さびしい終わり方やなあ。
そういう哀しい、寂しい結末を、漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジしたのね。
小説の方がリアルだけど。
エンターテイメントとしての後味の良さは、漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジのほうがいい。
漫画家の藤子不二雄は感動の結末へとアレンジをして。
映画化でも、藤子不二雄の感動のアレンジを取り入れて、スイートな結末へと昇華したのでしょうね。
それと、小説では、タケシを権力の座から追放するのが同じようなマッチョな生徒たちで群雄割拠状態になるのだけど。話としてはこっちのほうがリアルね。
藤子不二雄の漫画家では、民主化の暗部としてアレンジしてるわね。私には、こっちのほうがズキーとくるし、今にも続くテーマね。反差別活動家の暴走とか。
漫画での設定では、タケシを権力の座からひきずりおろせたケンスケってのは、病弱でおぼっちゃまでインテリということになってるけど。漫画のこういうタイプの顔は共産党か左翼か組合タイプでよう書かれるステロタイプの顔で。戦後左翼の暴走のイメージ化というふうに感じたわね。
それと漫画のケンスケの顔はどうみても子供じゃなくて、大人の左翼か共産党か組合の活動家の顔ね。戦後の民主化、左翼の暴走を暗示しているのでしょうね。
ネット右翼と勝手にレッテルを貼って、国粋主義や軍国主義の復活を目指す壮大な思想があるかのように、巨悪化するのはかえって本質を見誤る。
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
中韓を利用して戦前の日本を糾弾し、「自分の国の悪に向き合える私って美しい〜ウットリ」と自己陶酔してる赤い教師たちへの、反発がその本質。 pic.twitter.com/zOzb1Elh2r
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『少年時代』と、韓国映画『われらの歪んだ英雄』との違いで、見えてくること
5CHの「少年時代」のスレで、韓国の映画で、日本映画の「少年時代」のパクリみたいなのがあるって書かれていて。
韓国映画『われらの歪んだ英雄』
面白そうだからチェックしてみて。
日本映画の「少年時代」とかなり酷似している。これはもうかなりの影響を受けてるわね。
ただ、違いもかなりある。
その違いで、国民性の違いや歴史の違い、文化の違いを分析できると面白いわね。
それと、どこにどう魅力があるのか、魅力が無いのかの違いも分析できると面白いわね。
私なりの視点だけど。
韓国映画『歪んだ英雄』には、主役の二人に、せっかくルックスのいい若い少年俳優たちを出しているのに。
色気が全然ない。
女性からみて美男俳優を堪能するような要素もない。
同性愛や恋愛を邪推できる要素なし。全然、萌えポイントなし。そこが惜しいわね。
それと通俗的な商業的な性的魅力がないわね。
藤子不二雄の漫画や映画版『少年時代』みたいな、感動の和解もないし。
カタルシスもないし、ラストの感動もないし。
韓国映画『歪んだ英雄』は、作品としての質、監督としての演出の力量としてはこっちのほうが上なのね。政治性、社会的背景との咀嚼、芸術性、文学性、としても上。
でも、観客をもだえさせるような性的魅力、何度もリピートしたいと思わせる感動ポイントもないし、商業性もないわね。
地味な展開で、ラストの終わり方も地味だし。
やっぱり、藤子不二雄A『少年時代』には読者アピールの大衆性と感動ポイントがあったし、映画化も観客アピールする少年萌え、セクシーさ、キュンキュンさせる部分、感動ラストがあったわね。
まあ、これはね、日本の戦後史と、韓国の戦後史とでは全然違うから。
そういう戦後史や文化の違いを、懇切丁寧にまとめたのを、誰かやってくれへんやろうか?
韓国の歴史と文化に詳しくて、それでいて反日史観にとらわれてない方がいいな。
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話飛ぶけど。
これがもし、設定を戦前、戦争中の朝鮮半島にして、日本本土から来た成績優秀なリベラルな家庭のおぼっちゃまが、朝鮮半島の生粋の土着の朝鮮人で貧乏人のガキ大将に翻弄されるという設定にしたら、話がもっともっと強烈になってたやろうなあ~。
5chのスレで、主役のタケシ役をやった俳優について、
「日本人が思い浮かべる朝鮮半島系のイメージもある」
「得体が知れず、異文化で、何をしでかすかわからず、暴力的で」
ってたしかに。
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漫画『少年時代』のタケシの軍国ファッションには、戦後民主主義教育の私はヒヤリとするけど。
戦後民主主義教育の私は、「日の丸、旭日旗、戦前、戦争中の軍国ファッションには唾棄すべきもの!」と言う教育を受けてきましたからね。
それと右翼が大嫌いだし。
RKさんが、「右翼は実は反日の朝鮮半島系だらけ。北朝鮮系の反日の朝鮮半島系が右翼を偽装して、日韓対立、日中対立を扇動のドス黒い謀略活動をしている」
右翼が「ころせー!ころせー!朝鮮人!」って拡声器でわめいていたなあ。
行動保守界隈、ヘイトスピーチ反対活動が、日の丸や旭日旗の旗をふりかざし、日の丸の鉢巻きをして、ヘイトスピーチを吐くのもいやね。
ただ、行動保守界隈は、オラオラのドキュン系統か、ショボくてかわいいキモオタくんが混在してて。
ショボイ背の小さい男の人が日の丸鉢巻をして街宣やデモに参加をしていたけど、彼に対しては、なんか嫌いじゃなかった。心の中で「旗坊」とニックネームをつけてた。なんか、ショボくてかわいいキモオタ君って感じがして、なんか、かわいいのお~キュンキュンしてた。
だから、漫画『少年時代』のタケシの軍国ファッションには、戦後民主主義教育の私はヒヤリとするけど。
ネット検索をしたら、古い少年マガジンをメリカリで販売してる画像を見つけました。
古い少年マガジンの表紙で、新連載の宣伝アピールで、タケシが軍国ファッションをしているのはあるけど。
それと単行本化するにあたって、軍国ファッションをしているのが使われているけど。
でも漫画『少年時代』のタケシはまだ小学生で、貧乏な農家の子だから、いつも当時の普通の子供の服装しかしていないわね。シャツにズボンに草鞋程度で。
ただ将来の夢として、中学に入り(当時の少数の成績優秀で裕福な子にしか無理)、軍隊に入ることを夢想するシーンはあったけど。
今現代の 戦後民主主義教育の私からしたら、ヒヤリとするけど。
タケシには、ひどい横暴な部分だらけだけど。主人公を助けるいい部分もあるの。
この漫画には、戦後民主化の暗部も暗示するキャラクターも描写されている。
裕福な家の子で成績優秀な子で、タケシを権力の座から追放するけど。漫画の顔がどう見ても、左翼か共産党の活動家みたいなステロタイプの顔で。漫画の世界で、小学生の顔には見えんな。
藤子不二雄A先生の名作『少年時代』で、権力の座から墜ちたタケシに、かつての子分や1対1では勝てない連中が、徒党を組んで制裁という名のイジメを加えられるシーンが、とても不快で、黙々と殴られるタケシが、戦後日本と重なる訳で。 pic.twitter.com/QDsDBZfTmC
— 喜多野土竜 ⋈ 腰痛持ち (@mogura2001) June 20, 2020
対立する両者の暗部と是々非々とを描写できたのは、すばらしい。
戦前の軍国ファッションが、今現代の私らからしたらヒヤリとするようなものになってしまったけど。
左翼、共産党ファッションや、漫画や映画の左翼キャラには、まだ愛されてるし、シャレになってるから。
でもツイッターのせいで、メディアででかい顔をしている文化人で左翼系のダメぶりが露わになってきだしてて。
その流れで、左翼ファッションまで唾棄されるようになるかもしれないわね。
私は左翼キャラ、共産党キャラには愛情を持ってる世代だけど。そういう愛情と崩壊の過程を今からメモ保存しておこうかな。
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以下、こちらに続きます。
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