友達「済州島の親日の韓国人」感動、私は「反日の済州島系」とトラブルで、色々と濃い話
ただの般ピーだった友達が、映画プロデューサーになって、あちこちで韓国系の人脈と支援を得て、韓国の済州島に映画のロケを敢行できるようになって、しかもテアトル梅田での上映会もできて。
テアトル梅田での上映会後、近くのカフェで、友達がその体験談を熱烈に語ってくれてて。
「今、日韓関係が大変なことになってるけど」
「ロッテとJTBから済州島ロケのご支援をいただけて。そこのコーディネーターが、大変な親日で。『親戚が日本で焼肉屋をして成功をして送金をしてくれたおかげでどれほど生活が助かったか』って、すごい嬉しそうに語ってくれて。幼い頃は貧しくって苦労してたけど。その後は日本語も勉強して、日韓友好に協力したいって。ここには、そういう方々が大勢いるのね」
「済州島から日本に来た方々が大勢いるのね。過去に大変な大虐殺事件があって」
「映画ロケで長期間滞在したけど、そこの方々が協力してくれて」
「済州島と日本人との友好関係に私も貢献したい」
熱く語ってくれた。
その時は、他の人もいるし、話のこしを折ったら悪いから遠慮。
又、会おうって。
ツイッターのDMで、「最近、親北の在日のための施設の運営者の引っ越しの手伝いに通うようになったけど、そこはもう、通路に置いてある本が「慰安婦が~、強制連行が、日帝が悪逆非道で~、みたいな本だらけでな」…
彼女「心して、接しますね」
桃谷のコリアンタウンでお茶会しようって。
桃谷駅から歩きながら、近況報告して。
彼女が「なんか、ツイッターを見たら、すごいわね。反日の在日とか、親分みたいなのともめてたみたいね。お話、聞かせて」
桃谷駅からコリアンタウンまで、私は延々と、「ヘイトスピーチ反対」活動の主流派のコテコテの在日どもがどんだけえぐいのだらけだったかを語ったわよ。
彼女「そら、トラウマなるわね」
私「差別反対とか、被害者とか、ああいうところにいる当事者って、えげつないのだらけよ。当事者性をふりかざして、支援に来た日本人を糾弾しよるしな!」
「特にヘイトスピーチ反対活動には、日本中の一番えぐい在日の活動家が佃煮のように集まってて。とんでもないわ!」
彼女「大変だったわね」
私「あいつらのせいで、在日許さん! 韓国人許さん! になるわよ」
ランチで濃い会話。
彼女は済州島で出会った方々に感激していたし、「済州島は親日」って。
「韓国語の個人レッスンを習ってる。その方、ニューカマーで旦那さんもいてて。すごいいい方で」
私は「しばき隊とか、汚い活動家が済州島人脈だらけなのよ」
なんで、そんなに極端に別れるのか?
彼女と私とでは、在日や韓国人と出会うルートがもう全然違うからよ!
「差別反対とか、被害者とか言うところは、エグいのが集まるのよ」
在日差別反対活動やろ。
ヘイトスピーチ反対活動やろ。
それと済州島43事件被害者の会ってのも、臭い!
被害者意識をテコに臭いのが集まりやすいからね。
これが他の地域だと、そんなにお金も集まらないし、動員もかからないのでしょうね、
ニューカマーの韓国語の個人レッスンしてくれるのも、地雷率は低そうね。
私「差別って言われるかもしれないけど。でも、情報や意見として参考になったから聞いてね。帰化人や在日や在日に詳しい方から色々聞いた意見とか、総合して、だんだん分かってきたけど」
「正式な手続きを経て来日をして、日本語も勉強してからきましたってのは、割とまともなの」
「えぐい在日何世って、由来が曖昧なのね。戦後のドサクサで密入国か、由来が曖昧なのが多いわね。それも親北勢力がえぐいの多いわね」
「戦前から正規の手続きを得て来日してきて、そして正式な手続きを得て帰化した帰化人は、割と親日で、反日の在日を批判しているわね」
「それか最近のニューカマーで、正式な手続きを得て、日本語も勉強してから来日したのも、割とまともで、親日なのが見られるわね」
「やっぱ、戦後の大虐殺や戦争を逃れてきて、難民で密入国やドサクサで偽造身分証とかいうのは、韓国本土を憎んでるし。それに当然、日本も憎むわな。ろくな働き口がなくって、悲惨な労働環境や生活やったろうし、まともに日本語を勉強せずに来てるから、全然言葉も通じないし」
彼女「そうなんだ~」「日本で相当な苦労をしたのでしょうね」「戦後のよゆうのない時代だし」
戦後の焼け野原の後の極貧で餓死者が大量に出たような時代の日本は、日本人同士でもトラブルはげしいのに。
同じ日本人の満州からの帰国者たちも、日本で凄惨な差別を受けたとか。有名なのは、ちばてつや、赤塚不二雄とか。
ちばてつや「まあ、日本人の立場からしたら、戦後は日本人だけでも苦しいのに。大きな船で大量の避難民が次々と帰国してくるって聞いたら、そりゃあゾッとしたでしょうね。貧しい、臭い汚い病気だらけなのが押し寄せてくるのだから」
赤塚不二雄「まだ幼い子どもの頃に、配給をもらうために並んでたら、他の人々から『避難民は後』って言われて。幼い子どもに向かってそんなこと言うかって驚くでしょう。あの頃は、それだけ、みんな、余裕がなかったの」
難民は、移民先を憎む傾向があるわね。
これはアメリカ映画『クラッシュ』とか、色々なのでもかかれてるわね。まともに言葉も通じないし、文化も違うし、誤解が発生しやすいし。難民が移民先のアメリカ人を殺害しようとするってプロットはよくあるわね。
戦後の難民の子孫、何世は、親や先輩から恨みつらみを聞かされてきたでしょうね。
これが現代では、余裕がある時代で、正規の手続きを経てくる、日本語も習得してから来るニューカマーは、余裕があわね。日本人も余裕を持って対応する余裕があるわね。
それと、実は親の書類が怪しいから帰化できないけど、「強制連行された被害者」と言うしかないのもいてるでしょう。
一生、恨み続けながら、在日十世、二十世、百世と続けるしかないのか?
韓国に戻るか、カナダで子供を出産したら国籍をもらうとかする方法もあるけど。
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この手の話、まだまだ、続きます。
もっと濃い話もいっぱいしたよ。